「第21海軍航空廠」殉職者ら悼む 大村大空襲80年 300人以上が犠牲
太平洋戦争中、300人以上が犠牲になったとされる「大村大空襲」から80年を迎えた25日、当時長崎県大村市にあった飛行機工場「第21海軍航空廠(しょう)」の殉職者らを悼む慰霊祭が同市松並2丁目の慰霊塔公園であった。 航空廠は1944年10月25日、米軍の爆撃により壊滅的な打撃を受け、動員学徒の若者を含む市民が犠牲になった。慰霊祭は海上自衛隊OBでつくる「第21海軍航空廠殉職者慰霊の会」(小林拓雄会長)が毎年主催。空襲の犠牲者や、戦死した航空廠関係者を含む計約550人を追悼した。 同会や遺族、県市議、地元町内会など約60人が参列し、献花した。小林会長は祭詞で「大村の美しい風景は、心ならずも命を落とされた方々の尊い犠牲の上にあることを忘れてはならない」と述べた。また、航空廠が大村の発展に寄与した歴史にも触れ「恒久平和の実現に努めることが使命」と語った。 園田裕史市長は「悲惨な記憶を風化させず若い世代に語り継ぎ、豊かな郷土を守る責務がある」とあいさつ。西大村国民学校2年の時に空襲を経験した同市古賀島町の川村勝信さん(88)は「当時を知る者も少ない。原爆だけでなく、大村の空襲についても知ってほしい」と話した。