抵抗する被害者の後頭部に、「モンキーレンチ」をフルスイング…法廷で涙を流した「実行犯リーダー(23)」が明かす「ルフィ事件」の非道
やっちゃったかもしれない
息子はよろよろとしながら中腰になったところで別の実行役からその顔面を殴られ、床に仰向けに倒れた。鈍器での頭部の殴打を軽く考えていたという永田被告は、それを見ても慌てることもなく、物色のために1階に下りる。目当ての金庫を見つけ、2階に戻ると、息子が倒れている場所に血溜まりができていたことでようやく事態を飲み込んだ。「まずいな、やっちゃったかもしれない。想像していた状況じゃなかった」と永田被告は思ったというが、しかし自分たちが強盗であることから、救急車を呼ぶことはできない。“金庫の暗証番号を知っている父親に金庫を開けさせて早く撤収する”ことが最善策だと考え、父親を1階に連れてゆき、金庫を開けるように求めた。父親も「強盗が『金庫はどこにある、番号を教えろ』と言っていたので現金を狙っていることは分かっていたが、息子が頭から血を出して倒れている。一刻を争う。現金を渡して早く出ていって欲しいと思っていた」と当時の苦悩を調書に語っている。
殺したくてやってるんじゃない
「お母さんのほうは別の実行犯に制圧されていたのですが、お父さんの『大丈夫か』という呼びかけに『大丈夫よ』と答えていました。金庫の前に連れて行くとお父さんは『これ以上、かかと息子に手を出さんでくれ。息子が死んだら強盗殺人罪だぞ』と言いましたが私も『わかってる。こっちも殺したくてやってるんじゃない』と言いました……」 永田被告はこう法廷で証言しながら泣きだした。当時、うまく金庫を開けられない父親を別の実行役が殴ろうとしたが〈テメー、俺の指示なしで勝手にやってんじゃねえぞ。次何かやったらブッ殺すからな〉と告げ、これを静止したともいう。その後父親は金庫の扉を開け、中の200万円を実行役の1人に渡した。 「金庫の中の金は大事な金でしたが、一刻も早く息子を病院に連れて行かなければと思い、抵抗する気はなく、そのまま渡した。すると男たちは一瞬のうちにザザッと走って逃げて行きました。外に顔を出すと、白い大きなバンが、右側に走っていった。自分の車に乗って追いかけようかとも思いましたが、そんなことよりも早く救急車を呼び、息子を病院に連れていかなければ……家の電話で119番通報したと思います」(父親の調書) 息子はこのときの攻撃を受け、一時重体となり、高次脳機能障害を負った。 一方、永田はこの後、さらに3件の強盗事件に関与。2023年1月19日の「狛江事件」では、90歳の女性がバールで殴られるなどして死亡している。