【ラグリパWest】白星と街の繁栄。栗原大介[レッドハリケーンズ大阪/チームコーディネーター]
栗原大介はスポーティーな自転車にまたがり、颯爽とやってきた。バイクと表現する方がより似合う。 色に統一感がある。バイク、サングラス、ポロシャツすべてが黒だった。シャツには所属のレッドハリケーンズ大阪のロゴが入っている。チーム名の短縮は「RH大阪」である。 栗原の高校は湘南、大学は慶応だ。「スマート」と形容される人生を歩んで来た。 「サーフィンは小中でやっていました」 ラグビーのみならず、青い海をイメージする日焼けがある。面長の中にある目は大きく、黒い。笑えば点になる。魅力がある。 バイクは生活の一部だ。 「散策しますよ」 大阪への通勤にもその一部として使う。帰りは上り坂になるが、意に介さない。この5月まで選手をやっていた。まだまだいける。 シーズン終了と同時に、現役を引退した。今年、35歳になる学年である。 「試合も出ていませんしね」 最後のシーズン、181センチ、100キロのFLの出番はなかった。RH大阪はリーグワンのディビジョン2(二部)で12試合を戦い、5勝7敗、4位に終わった。 体の問題もあった。 「ケガの累積ですね。ひざの半月板はないし、軟骨もありません」 引退の決断には納得している。 栗原は社員選手だった。引退後はチームコーディネーターとして現場に残った。 「主に外国人選手の契約やお世話ですね。社内と現場のコネクション的な役割です」 栗原の籍はNTTドコモにある。その部局的な立場でRH大阪がある。 組織運営は学んでいる。現役引退までの2年間、日本ラグビー選手会の副会長をした。キャプテン会議を主導しラグビーの普及・発展につとめる。 「川村慎さんに呼んでもらいました」 川村は慶応の2年上であり、選手会長だった。横浜EのHOでもある。先輩からの受けもいい。 栗原の能力を上司的存在だった内山浩文は評価していた。浦安DRの現ゼネラル・ディレクターである。栗原の社会人、そして社員選手としてのスタートはその浦安DRの前身であるNTTコミュニケーションズだった。 2年前の夏、NTTグループのチーム再編でプロ中心の浦安DRと社員中心のRH大阪になった。内山はアドバイスを送った。 「大阪でチャレンジしてみたら?」 栗原はひざのケガなども含め、現役を引退しようとしていたが、思いとどまった。 千葉から大阪への転勤も苦にしなかった。 「どこに住むのにも抵抗はありません」 妻と2人の子供もついてきてくれた。その上でRH大阪の存在に意義を感じている。 「強化に振り切るチームが多い中で、このチームは地域密着を目指しています」 チーム本拠地の大阪市の24区のうち20区と連携協定を結び、スポーツの普及などを軸に豊かな地域社会の実現を考えている。 栗原はまた、がん撲滅を目指す「deleteC」(デリート・シー)の活動にもチームとともに参加している。元々、浦安DRが熱心に支援していた。Cはがんの英単語、Cancerである。 「研究にはお金がかかります」 SNSによるプロジェクトの告知やイベントへの参加もいとわない。 栗原がその社会性を最初に磨いたのは大学、慶応の4年間だろう。 「ちゃんとしたラグビーはそれまでやっていませんでした」 湘南3年の夏ごろ、日吉に行った。 「そんな頭で来るんじゃあねえ」 誘ってくれた上田昭夫に怒られた。 上田は監督などさまざまな立場で慶応ラグビーを支えた。栗原の髪は銀色だった。 「体育祭で髪を染めるのが流行っていました」 チームには包容力があった。栗原は2年からLOで公式戦に出場する。 3年秋の早慶戦は今でも忘れない。 「秩父宮が満席になりました。当日券を求めて人が来て、ないんで帰ってゆくんです」 スコアは10-8。この2010年を最後に慶応は早稲田に勝てていない。大学選手権は47回大会。8強戦で帝京に7-38で敗れる。帝京は決勝で早稲田を17-12で破り、9連覇中の2回目優勝を達成する。 栗原に影響を受け、8学年下の弟・由太(ゆうた)も黒黄ジャージーを着る。4年時には主将もつとめた。現在はCTBとしてBR東京でプレーを続けている。 卒業後、栗原はNTTコミュニケーションズに進む。 「強くなると思いました」 リーグワンの前のトップリーグでは5位まで上がった。2回あった。 「自分はケガから復帰の繰り返しでした」 最初の大ケガは慶応1年の春。左ひざの十字じん帯を断裂し手術する。そこから大小の受傷があった。 ケガでもやめなかったラグビーを栗原が始めたのは神奈川の中学、高浜である。サッカーを引退した中3時に声がかかった。 「自由度が高いところがよかったです」 脚も手も使える。湘南にはラグビー部があった。その旧制中学からスタートした進学校に入学できる頭脳もあった。 高校の3年間、全国大会出場はない。栗原は個人的に奮闘する。神奈川選抜に選ばれ、国体(現・国民スポーツ大会)で初優勝する。その能力は上田の目に留まり、慶応の総合政策学部のAO入試をすすめられた。 栗原は競技に浸かって21年目に入る。 「ラグビーは人が育つ場だと思います」 RH大阪はその思いを深めてくれる。 「遠回りかもしれませんが、勝利至上主義じゃないところで勝ってゆきたい。地域を築き幸せをはぐくむ。それ以上はありません」 チームには白星を。浪速の地には繁栄を。 両立は難しい。だからこそ、やりがいがある。快男児が取り組む価値がある。