24年前…世界が止めていたら「ウクライナ戦争はなかった」 ロシアへの“無関心”を批判
7月末、ロシア人の反政府武装組織幹部らがプーチン政権崩壊後のロシアを議論する会合に参加するため来日した。「プーチン後」をめぐる思惑の違いもあきらかになる一方、分離独立派の幹部から「世界の無関心がウクライナ侵攻を招いた」と、ロシアの民族問題へ国際社会が真剣に向き合うことを求める声もあがった。(国際部・坂井英人)
■「プーチン後」を議論
プーチン政権崩壊後のロシアの国家像や少数民族の分離独立を議論する「ロシア後の自由な民族フォーラム」が8月1日、永田町の衆議院第一議員会館で開催された。参加したロシアの反体制派組織幹部や少数民族の分離独立派は「反プーチン」で歩調を合わせたものの、目指す新たな国家像では「分離独立」を前提とする少数民族組織の代表らと、そうした意見に配慮しつつもロシアの分裂を望まない「ロシア自由軍団」政治部門幹部のイリヤ・ポノマリョフ氏との間で立場の違いが明らかになった。
■「世界のチェチェンへの無関心がウクライナ戦争を招いた」
各参加者が発言を終えた終盤、この日議長を務めたウクライナ研究者で神戸学院大学の岡部芳彦教授は会合について「ロシア連邦の帝国主義的・植民地主義的政策に抑圧されてきた諸民族の本当の声を聞くことができたのは我々にとって非常に貴重だった」と締めくくった。
なかでも重く響いたのが、ロシア南西部・チェチェンのカディロフ首長と対立し、分離独立を目指す「チェチェン・イチケリア共和国」亡命政府の“外相”を名乗るイナル・シェリプ氏の言葉だ。シェリプ氏は「ロシアの民族問題に対する世界の無関心がウクライナ戦争を招いた」と指摘した。 1994年、一方的に独立を宣言していた「共和国」にロシア軍が武力行使して始まった第1次チェチェン紛争は96年に休戦したものの、1999年、プーチン氏が首相に就任したほぼ同時期に第2次チェチェン紛争が始まった。シェリプ氏によると、これまでにチェチェン人30万人の命が失われ、そのうち約8万人は子どもだったという。
「チェチェン・イチケリア共和国」“外相”イナル・シェリプ氏 「(第2次チェチェン紛争が始まった当時)世界はそれをロシア国内の事情と見なし、黙っていました。もしあの時、世界が関与し、あの戦争を止めてくれていたら、その後のジョージアへの侵略も、またウクライナの戦争もなかったでしょう」