<119年越しの夢・’24センバツ耐久>初出場、ありがとう 響け応援輝け選手 卒業生の希望背負って /和歌山
春夏通じて初めて甲子園に出場する耐久。初戦に向けて選手たちは気持ちを高めているが、地元でもOBが特別後援会を結成するなど盛り上がりを見せている。試合当日は町を挙げた大応援団がアルプスを埋め尽くす予定で、卒業生や町の人々にとっても念願かなっての晴れ舞台となる。【安西李姫】 【写真で見る歓喜の瞬間】歴代のセンバツ覇者たち 「まさか生きているうちに耐久が甲子園に行くなんて……」。喜びをかみしめるのは、1966年に卒業した硬式野球部初代女子マネジャーの坂本美恵子さん(76)。マネジャーの仕事はノッカーへのボール渡しやスコア記入など今と変わらないが、夏の甲子園で女子部員のベンチ入りが解禁されたのは30年ほど後になる。「観客席にしか入れないのは少しさみしかった」と懐かしむ。 「監督から『試合で箕島に負けたら歩いて帰れ』と言われていた時代でした」。近隣校で切磋琢磨(せっさたくま)してきた箕島は尾藤公(ただし)監督に率いられ、68年のセンバツで甲子園初出場。その翌々年のセンバツでは優勝を果たすなど、全盛期のライバルを横目に「いつか耐久も」との思いが強くなっていったという。 ◇「伝統実ったかな」 85年から7年間監督を務めた金森健祐さん(82)は「おとなしくて真面目な子が多く、特別なことをしようとしない。下手なら下手なりに頑張るところが、今も変わらない耐久らしさ」と語る。そんなひたむきなチームにとって、智弁和歌山などの台頭もあり甲子園は「夢のまた夢」となっていた。 耐久の最高成績である夏の選手権和歌山大会ベスト4に2度導いた金森さんだが「甲子園なんて手の届かない遠い場所だった」と振り返る。昨秋の近畿地区大会で甲子園が見えてきた時には、万歳をして喜んだ。日ごろからグラウンドに足を運び選手たちの努力をたたえながら、「これまでこつこつ野球と向き合ってきた伝統が実ったのかな」と目を細める。 ◇特別後援会も奮闘 今回のセンバツに向けてOBで結成した特別後援会の事務局長・東尾庄治さん(70)は、箕島出身で元西武ライオンズ投手の東尾修さん(73)の弟だ。昨年12月には修さんをグラウンドに招き、エースの冷水孝輔投手(3年)らに“特別指導”をプレゼントした。特別後援会で応援バスツアーなどの準備に奮闘し、やっとの思いで大会当日を迎える。「耐久が甲子園に出られるなんて涙が出る。本当にありがとう、それだけです」