人間の社会性は明らかに「不自然」…人間だけが何万年間も大規模な”協調関係”を形成できた「衝撃のワケ」
ダーウィンの群選択理論は正しくない?
ダーウィンもこう指摘していた。「メンバーの多くが高度な愛情、忠誠心、従順さ、勇気、共感からつねに助け合い、共通の利益のために自分を犠牲にすることに前向きな種族は、ほかのほとんどの種族に打ち勝つことができるだろう。そしてこれは自然選択だと言える」。 しかし今では、そのような群選択理論(ナイーブ群選択理論と呼ばれることもある)は正しくないとみなされることが多くなった。協調は「集団にとって有利である」という漠然とした利点だけでは、集団内でフリーライダーとして行動するうまみを相殺できないと考えられるからだ。 もちろん、全員が利他的に行動するのは「集団にとって有利」なことだ。そして、利己的な個体は利他的な個体を打ち負かすとしても、集団としては、利他的な集団が利己的な集団に勝るのも確かだ。 しかし、あくまで個人としては、非協力的な行動をとるほうが必ず有利になるというのも、依然として事実である。個人による集団への協調がもたらすポジティブな効果は、フリーライダーの破壊力を中和するには十分ではない。ある集団にとって、メンバーの全員がXという特徴をもつことが有利に働くとしても、それだけでXが自動的に進化適応的になるわけではない。
群選択理論の利点
その一方で、群選択理論には、人間心理のさまざまな特徴に対して華麗かつ説得力のある説明を提供するという利点もある。 私たちは集団志向が強く、「仲間」には驚くほど協力的で、犠牲をいとわない。同時に、ほかの集団とそのメンバーにはとても敵対的にふるまう。小さな部族間で少ない資源をめぐって争った進化の過去が、そのような道徳的心理の原因になったのかもしれない。内側に向けては温厚で、外には好戦的な集団が、繁栄する可能性が最も高かった。 逆に、群選択が機能するには、集団内における協力的な気質を排除する選択圧が、集団間の協力的な気質を選ぶ選択圧よりも弱くなければならない。この状況は、協力遺伝子をもつ者同士が、何らかの理由から優先的に出会う場合にのみ実現する。血縁選択も、群選択も、どちらも同じ選択メカニズムの上に成り立っている。 つまり、利他主義は、利他主義者同士が団結する場合にのみ進化的に安定するのである。 『「自ら」を保つために「他」を犠牲にする…人類がほかの集団より優位に立つために見い出した「協力」のための取捨選択とは』へ続く
ハンノ・ザウアー、長谷川 圭