4気筒はオイルショックの「女神」 ロータス・エリート(1) 初代と共通点ほぼ皆無の2代目
信頼性や品質を理由に取引価格は急速に低下
グラスファイバー製のボディは、新しい製造プロセスによって上下の2分割で成形された。これは、ムーンレイカーと呼ばれるモーターボートの開発で導かれた技術だった。 安全性にも配慮され、ドア内側には頑丈なビーム材を実装。横転時に、ガソリンが漏れない構造のタンクも採用された。ボディは、スチール製に劣らない強度を確保。48km/hの衝突実験では、ステアリングコラムのズレは0.5インチ(約13mm)に留まった。 ブレーキは、前後ともにディスクブレーキが珍しくない時代だったが、リアがドラム。それでも、バネ下重量を減らす目的で、インボード・レイアウトが取られている。 リアサスペンションは、ドライブシャフトがアッパーリンクを兼務。チャップマンは、1つの部品に2つの機能を与えることへ、こだわりを持っていた。だが、ディファレンシャル・シールからのフルード漏れや、ハブキャリアの不調を招いたが。 部品の信頼性や製造品質も、満足できる水準にはなかった。結果として後年、エリートの取引価格は急速に低下してしまう。 そんな不安要素を抱えつつ、走行可能なプロトタイプが完成したのは、1972年1月。キンバリーとラッドが、欧州各地を巡りテスト走行を重ねた。
インテリアはジョルジェット・ジウジアーロ
エランの強みとされたのが、タイプ907と呼ばれた、ロータス製の2.0L直列4気筒エンジン。4バルブのダブルオーバーヘッドカム(DOHC)で、ブロックはヴォグゾール(英国オペル)のユニットをベースとしていた。 シリンダーライナーには鋳鉄が用いられ、ブロックはアルミ製。ドライサンプ化され、157psの最高出力を発生した。ツインキャブレターは、欧州仕様ではデロルト社製。北米と日本仕様には、ゼニス社製が組まれた。 ウィンターボトムによるスタイリングは、1973年8月に承認。オイルショックに伴う不景気をしのぎ、発売は1974年に遅れた。最終的には実現していないが、ショートホイールベース・モデルやV8エンジンの搭載も想定されていたという。 インテリアを担当したのは、ジョルジェット・ジウジアーロ氏。ウィンターボトムによると、自身が描いたエスパーダ風の内装デザインを、チャップマンは気に入らなかったらしい。上質なファブリックも望んだとか。 それでも、彼はチャップマンを尊敬していた。「デザインやルール、人脈、銀行などから可能な限り要素を抽出し、競争心を利用し、積極的に働くよう仕向けました。不満を生むこともありましたが、彼から評価されると、大きな意味を感じましたね」 果たして市場へ放たれた2代目エリート、タイプ75は、操縦性と動力性能が絶賛された。及ばない洗練性も指摘されたが、長距離を快適に走行できる特長は、それ以前のロータスには備わらないものだった。 この続きは、ロータス・エリート(2)にて。
マーティン・バックリー(執筆) リュク・レーシー(撮影) 中嶋健治(翻訳)