人間国宝・中村歌六「歌舞伎役者としてのお稽古ごとの一環で、劇団四季の養成所に2年。歌やバレエのレッスンも。伝統文化門閥制の意味」
演劇の世界で時代を切り拓き、第一線を走り続ける名優たち。その人生に訪れた「3つの転機」とは――。半世紀にわたり彼らの仕事を見つめ、綴ってきた、エッセイストの関容子が聞く。第22回は2023年、重要無形文化財「歌舞伎脇役」の保持者として各個認定された(人間国宝)、歌舞伎役者の中村歌六さん。還暦を迎えた時、屋号を「播磨屋」に戻し、自分と弟でしっかり守っていくことを決意したそうで――(撮影:岡本隆史) 【写真】祖父の三世中村時蔵と幼少期の歌六さん * * * * * * * ◆「播磨屋」を守っていかねば 歌舞伎役者にはそれぞれ屋号があるが、歌六さんには「播磨屋」から一時「萬屋」となり、平成22年9月、また「播磨屋」に戻るという経緯があった。 ――2つ目の転機はその播磨屋に戻ったことかなっていう気がします。2年前に亡くなった吉右衛門兄さんとはそこから密度が断然濃くなりましたから。 三代目歌六という僕の曽祖父の本名は波野ですが、その奥さんの小川かめは芝居茶屋を経営していた萬屋吉右衛門の一人娘。結婚すると小川の家が途絶えてしまうことから、長男の初代吉右衛門には波野姓、次男の三代目時蔵には小川姓を名乗らせたんですね。その小川家一門が昭和46年に屋号を播磨屋から萬屋に変えたことで、僕も萬屋に。 その後、平成22年に僕が還暦を迎えた時に、生まれながらの屋号の播磨屋に戻そうかなという気になって、弟の又五郎と一緒に戻りました。吉右衛門兄さん亡き後は、微力ながら、「播磨屋」を僕と弟でしっかり守っていかなきゃいけないな、と。「萬屋」のほうは時蔵さん、錦之助くん、獅童くんたちがちゃんと守ってくれています。
播磨屋復帰以後、吉右衛門・歌六ががっぷり四つに組んだ名舞台が続く。まず『伊賀越道中双六』「沼津」では呉服屋十兵衛と人足(にんそく)の平作。同「岡崎」では唐木政右衛門と山田幸兵衛。これなどは二人が同格の主役と言える。 ――まぁそうですね。「沼津」は前に巡業で吉右衛門兄さんとやってますが、播磨屋に復した時に、心新たに9月の秀山祭で演じました。秀山は初代吉右衛門さんの俳名で、そのすぐれた芸を顕彰する興行なんです。 ですから、人間国宝に認定されて迎えた今年9月の秀山祭の「金閣寺」の大膳役も新たな出発の気持ちで心してつとめましたので、第3の転機と思うでしょうけど、まだ僕は発展途上中。この先にどう変わるか、可能性を残しておきたいので、第2.5くらいにしておいていただきたい。(笑) しかしまぁ、吉右衛門兄さんとはこの十年ばかりの間、よくご一緒しました。『松浦の太鼓』ならあちらが松浦の殿様で、僕が俳諧師の宝井其角(きかく)。『石切梶原』なら、あちらが梶原で僕は六郎太夫。『ひらかな盛衰記』「逆櫓(さかろ)」ならあちらは樋口で僕は舅の権四郎。僕のほうが年下なのに、いつも兄さんが若いほうの役。 一番心に残っている舞台は、『鬼平犯科帳』の「大川の隠居」ですね。新橋演舞場で、下座(黒御簾音楽)が入って歌舞伎仕立てですよ。僕が年寄りの盗人で、最後に鬼平と二人で酒飲みながらしみじみと語り合う。印象深い芝居でしたね。