パリ五輪が迫るフランス政府が絶対に見せたくない“不都合な真実”…スラム化した郊外団地問題で育った監督が晒す「移民政策の成れの果て」
映画で描かれる「対立」と未来へのかすかな「希望」(ネタバレ注意)
汚職を追及されていた前任者の急逝で臨時市長になった理想化肌の医者ピエールは、移民たちの生活改善のためと信じて老朽化した団地を立入禁止とし、団地を取り壊しての再開発を進めようとする。しかし、家財道具もろくに運び出せないまま、クリスマスに追い出される形となった移民、とくに若い世代の者たちは激怒する。 アフリカのマリにルーツを持つアビーは居住棟エリアの復興と治安改善を目指している行動派の若き女性だが、そのボーイフレンドのブラズは、怒りのあまり市長の自宅に押し入り、市長の幼い子らを人質にとり、「家に火をつけて路頭に迷わせてやる」と息巻く。 本作には、明確な悪役がいるわけでなく、誰もが自らの信じる正義のために行動しているにもかかわらず、ボタンのかけ違いから緊迫の度合いを増していく。 ラジ・リ監督は、前作『レ・ミゼラブル』(2019)でもバンリューの犯罪多発地帯を舞台に、そのエリアを取り締まる犯罪防止班と少年たちの対立を臨場感たっぷりに描き出し、カンヌ国際映画祭審査員賞など数々の賞を獲得した。本作のような問題はパリ郊外の多くの団地で実際に起こっている現実を白日の下に晒している。 ただし、本作では決定的な対立による悲劇的結末を描く代わりに、アビーが新たな市長に選ばれてこれから何かが変わっていくのではないか、というかすかな希望を感じさせて幕を閉じる。本作が、オリンピックを控えるフランスが隠しておきたい自らの恥部を描いていながら、日本公開に際して在日フランス大使館が後援に名を連ねているのも、おそらくは監督のそうしたスタンスゆえのことだろう。
これまで製作されてきたパリの移民政策を背景とした作品
フランスの移民政策があってこそ生まれた作品として、『憎しみ(La Haine)』(1995)、『パリ20区、僕たちのクラス』(2008)、『最強のふたり』(2012)といった作品を挙げることができる。 マチュー・カソヴィッツ監督、主演のヴァンサン・カッセルの出世作となった『憎しみ La Haine』は、バンリューに暮らすアラブ系、黒人、そしてユダヤ人の不良仲間たちの警察との対立、そして死と隣り合わせの青春を描いて日本でも評判になった作品だ。 一方、『パリ20区、僕たちのクラス』はパリ20区にある公立学校でフランス語を教える教師フランソワと、フランス語が母国語ではなく、個々に問題を抱えている移民の生徒たちとの交流、対立、成長を描いたドキュメンタリー・タッチの作品。そして『最強のふたり』は事故で半身不随となったパリの白人大富豪と、その介護人に採用されたスラム街出身の移民の黒人青年(実話ではアルジェリア出身)との、世代や人種を超えた友情の物語。 それぞれの作品はみなジャンルが違うし、同列に論じられることはないが、唯一、“移民映画”と捉えたときにその共通点が見えてくる。つまり、それぞれの物語の背景として、フランス政府による移民受け入れ政策があって初めて生まれ得る物語である点だ。 言葉の上でのハンディがある移民一世たち、パリで生まれ育ったフランス人であるにもかかわらず、その出自からさまざまな差別に直面する移民二世たち。移民たちと共生できる社会の成熟に心を砕く人たちがいる一方で、自分たちが仕事を奪われたのは移民たちのせいだと思い込む者たち。 そこにさまざまなドラマが生まれるのはある意味当然で、それはフランスだけでなく他のヨーロッパ諸国にしても同じだ。昨年公開されたサム・メンデス監督による英国映画『エンパイア・オブ・ライト』(2022)なども、背景としての英国の移民政策があって初めて成立する物語だと言えそうだ。
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