テレビでコメントすることの難しさとは? 春香クリスティーンさんに聞く
── テレビのコメンテーターをやってみて、どうでしたか? 春香クリスティーン:コメンテーターという仕事を最初にやらせて頂いたのは、20歳そこそこだったんですけど、とてもありがたいことでしたし、一つ一つのコメントをしっかりと考えなくてはいけない、と思うようになりました。 テレビでは、決して軽はずみに発言をしているわけではないんですよ。ただ、ひとつの見解、主張だったり、問題に対する一つの答えを言ってみたりすると、それに対して、もちろん反論があるわけですよね。それが、想像以上に、ものすごい量の反論というか、解釈が出てくるんですね。テレビの放送で言うと、一つの発言、5秒とか10秒とかの発言に対して、反応がものすごくヒートアップして、さらにどんどん解釈されて、そこまで何も言ってないのにという解釈が出てくることもあります。逆に言えば、それだけ、関心があるテーマというか、熱があるテーマなんだなということを感じることがありますね。
── テレビで伝えることの難しさとは何でしょうか? 春香クリスティーン:一つには、テレビは、流動的なメディアで、限られた時間しかないなかで、どのテーマもそうなんでしょうけど、さまざまな意見があるなかで、慎重論というか、深く考えることは、なかなか難しいのかな、と思いますね。 そもそも、「右と左」といった話などは、テレビで議論するのはすごく難しいと思います。たとえ、1時間30分の討論番組を作ったとしても、そこで本当にテーマを掘りきれるかといえば、そうはいかないですよね。原発でも安全保障でもそうですが、どんなテーマでも、議論をしつくすことはできず、情報番組でも、すべての意見を代表する、提示する、というのは難しいですね。
── 著書『ナショナリズムをとことん考えてみたら』で言いたかったことは? 春香クリスティーン:一つの事柄に発言すると、「この人は右だ」とか「この人は、Aについても、Bについても、Cについても、こう思っているだろう」といったような、カテゴライズやレッテル貼りがありますよね。そして、ある意見に反対のことを言ったら、「この人は、ほかの意見についてもAさんと対立しているんだ!」とか、「右と左だから完全な対立だ!」「全部意見が違う!」というような反応もあります。 そうではなくて、例えば、原発や安全保障など、いろいろなテーマがありますけど、一つ一つのテーマで、意見やファクト(事実)を(丁寧に)並べて、建設的な議論ができればいいなと思います。感情論だったり、関係のないこととごっちゃにして議論するようなことは、本当にもったいない。日常生活のなかで、または、ネットでもいいと思いますが、丁寧な議論を、感情的な議論に惑わされずにすることが良いと思うんですよね。 発言するたびに、「右だ、左だ」と言われると、なかなか発言しづらくなるという悪循環があると思うので、そんなことを気にせずに、自由に発言できるような環境が理想的だなと思います。 ------------------------------ 春香クリスティーン 1992 年スイス連邦チューリッヒ市生まれ。父は日本人、母はスイス人のハーフ。日本語、英語、ドイツ語、フランス語を操る。2008年に単身来日し、タレント活動を開始。日本政治に強い関心をもち、週に数回、永田町で国会論戦を見学することも。趣味は国会議員の追っかけ、国会議員カルタ制作。テレビ番組のコメンテーターなどを務めるほか、新聞、雑誌への寄稿も多数。新刊に『ナショナリズムをとことん考えてみたら』(PHP新書)がある。