真田父子が対局した囲碁の棋譜? 長野・松代で検討会
大河ドラマ「真田丸」で人気の真田昌幸・信幸(信之)父子の囲碁の対局棋譜とされる資料をめぐる講演・検討会が15日、長野県長野市の松代町(まつしろまち)でありました。松代町は真田信幸が上田藩からの移封で初代藩主となった松代藩の地元。紹介された2人の棋風はひるむことなく戦いを挑む武士らしいものとの評価の半面、棋譜は偽作の可能性も指摘され、謎とロマンを広げていました。 【動画】「真田丸」の上田城、例年以上のにぎわい 千本桜まつり
複雑な戦略を仕掛け「サムライらしい碁」
松代町の住民組織「エコール・ド・まつしろ倶楽部」の囲碁専科主催で、囲碁ファンなど約20人が聴講。講師の囲碁史研究家・中田敬三さん(長野市)が、江戸時代の囲碁の家元・井上家の門人、三神松太郎が著した囲碁の記録「古棋」の中に真田昌幸・信幸の対局が記録されていると紹介。実際にその棋譜に沿ってボード上に石を置きました。伝えられる棋譜は漢数字で「一、二、三…」と石を置いた順番が記入されており、講演会では現代の丸い碁石の形の棋譜に書き直して資料としました。 布石の段階からやや変わった位置に石が打たれるたびに、出席者は「ほう~」と盤面にくぎづけに。いきなり大きな石が絡む「セキ」(白、黒いずれも相手を取ろうとすると逆に取られてしまう石の配置)になりそうな状態が出現するなど、刺激的な展開が続きました。
中田さんは「戦いを好み、複雑な戦略を仕掛け、戦いが連続していく碁です。10手ぐらいからは今では考えられないような打ち方で、サムライの碁かという印象。本当に昌幸父子が打った碁かなあとも思わせる」と解説。「大阪城の真田丸のとりでの発想にも真田のこうした囲碁の研究が結びついたと考えても不思議ではないですね」と話しました。 勝負は昌幸が196手で中押し(ちゅうおし=最後に互いの陣地を数えるまでもなく途中で勝敗がはっきりした決着)勝ちとなっています。
信幸誕生、上田城築城と時期が合わない?
伝えられる棋譜は「永禄四(1561)年 於 信州上田城中 勝 真田昌幸 先 同 信幸」とあり、永禄4年に上田城での対局とされています。しかし、真田信幸が生まれたのは永禄9(1566)年であり、中田さんは「信幸が生まれる前に碁を打つわけがないのと、上田城築城の時期とも合わない。真田父子の棋譜とされているものは、後世の偽作ではないかという見方もあります」と説明しました。 その一方で中田さんは「この碁は名人の内容ではないから本来なら後世に残す必要がない。あえて棋譜を残したとしたら、実際に真田父子の間でこの碁が打たれたからではないか、という見方もあるのです」と話しました。