悪意ゼロの「老害」と上手につきあう2つのコツ、お互いに歩み寄れる「妥協点」は必ずあるはず
Nさんは「あ、ありがとうございます」と答えるしかなく、Oさんの視界のなかにいるときは、言われたとおりにトレーニングしている“ふり”をするしかありませんでした。ペースが乱されてしまい、トレーニングには身が入りません。はっきりいって、うっとうしかったそうです。 ■「100%善意の老害」ということもある 若い人からしてみたら、Oさんは「老害」以外のなにものでもないでしょう。おせっかいにもほどがありますからね。なかなかの老害レベルです。
でも、これだけは理解しておく必要があります。Oさんはおそらく100%善意でやっています。悪意はゼロ。若者を助けてあげようという親切心に満ちあふれているはずです。 仮に相手が若い女性だったとしても、下心はいっさいなしに、同じようにアドバイスを送っていたことでしょう。Oさんのような人は、まさにそういうタイプなのです。 今の若い人たち、とりわけデジタルネイティブといわれる世代は、あらゆる情報を自分で調べ、そのなかから有益なものを選び抜くスキルを持っています。キャリア豊富な年長者よりも詳しかったり、最新最適の情報を持っていたり、というケースも珍しくありません。
これに対しOさんの世代は、仕事も趣味も遊びも、上の世代から教えてもらい、下の世代に伝えていくのがあたりまえという価値観のなか、人生を送ってきました。それゆえに、同じ組織やコミュニティにいる若者に対しては、「自分のほうがよく知っているから、教えてあげる義務がある」と自然に思っています。 この感覚の違いが大きな齟齬を生み、両者の間に「壁」をつくってしまうのです。そしてこの構図は、とても面倒な状況をまねくことになります。
たとえ一方的であっても、年長者から教えられた若者は、その行為をないがしろにできないため、その場しのぎの社交辞令で頷いたり、感謝の念を示したりします。すると教えた側は、これを成功体験ととらえて調子に乗り、勢いを増してまた同じことをくり返すのです。 その結果、高齢者は善意が実ったと(勘違いして)満足する一方で、若者は彼らを「老害」と呼ぶシーンが増えるという、なんとも残念すぎる循環が生まれてしまいます。