「お前の株式は偽物だ」怒って裁判する父、目も合わせてくれない銀行 大ピンチの工場を、娘はどうやって承継したのか
◆理想的な形で平鍛造を残すための決断
----2018年、会社を売却し、ベアリング大手「NTN」の子会社となった理由は何だったのでしょうか? 会社が再び軌道に乗ったら、甥に事業を継承してもらうつもりでした。 甥にも話をしていたのですが、甥は亡くなった弟の意向を受け、医療系の大学に進学し、卒業後の1年はレントゲン技師をしていました。 それでも、甥は私が3代目になるタイミングで入社し、現場や金型部門の部署で頑張っていました。 数字的なセンスが良く、金型の専門技術も習得する頭の良い子だったのですが、5年勤務して金型チームのリーダーになったとき「やめる」と言い出しました。 理由は、金型チームの従業員が甥の言うことを聞いてくれないからでした。 私もかつて、現場に不慣れで従業員から信頼されなかったので、「同じ経験をした」と説得したのですが、「一つの部署をまとめられないのに、会社全体を仕切る社長なんてもっとできない」と甥の意思は固かったのです。 最後は、甥が持っている株式を買い上げる形で退社しました。 代わりの後継者候補として私の長女夫婦が入社しましたが、業種が合わなかったようで辞めてしまい、後継者のめどが立たなくなりました。 今後も平鍛造の技術を残していくため、大きな会社にM&Aで株を買ってもらい、親会社が獲得した仕事を平鍛造でやるような形が良いかと考えて、売却しました。
◆時代に合わせて柔軟に経営方針を転換する
----事業承継についてのお考えをお聞かせください。 経営者としての心構えは、父がやっていた通りにしてきました。 でも、近年は世の中の動きが速く、経営方針は時代の流れで変える必要があると感じます。 事業承継は、会社ごとに100社100様だと思いますが、オーナー企業はどうやって従業員を守っていくか、地域の産業を守っていくか、という点を柔軟に考え、承継判断をする必要があります。 社長室に飾ってあるような社是にとらわれた舵取りをしていると、将来にわたって会社を残すことは厳しいと強く感じます。
■プロフィール
平鍛造株式会社 前社長 平 美都江 氏 1956年7月3日、東京都大田区生まれ。両親の病気を機に1977年に日本女子大学理学科を中退し、平鍛造株式会社に入社。工場の現場や営業職を経て、最大100億円あった借金の返済に奔走。1986年に専務取締役就任。リーマン・ショックなどの景気悪化による受注量激減や、廃業を主張する父との訴訟を経て2009年に代表取締役社長に就任。経営の合理化などの取り組みで業績を回復させ、2018年に株式を譲渡し、大手ベアリングメーカー「NTN」の完全子会社となった。