国道工事してたら出た…絵図とぴったり、明治初期・集成館の大型石庫の遺構 鹿児島市
世界遺産の洋式工場群跡「旧集成館」(鹿児島市吉野町)近くで、明治初期に造られた石造倉庫(石庫)の基礎部分とみられる遺構が見つかった。市教育委員会のこれまでの調査で一部が出土しており、今回の発見を踏まえると、幅約8メートル、長さは少なくとも25メートル以上ある大型建造物だった可能性が高まった。市教委は、「絵図や古写真に残っている建物で、集成館の広がりを考える上で価値が大きい」としている。 【写真】1915(大正4)年頃の「集成館地区見取図」の一部。石庫(中央手前)や機械工場(同奥)が描かれている(尚古集成館蔵、鹿児島市教育委員会提供)
遺構は「地業」といわれる地固めした跡で、国道10号改良に伴い2023年7月~24年3月に複数箇所で見つかった。工事に立ち会った市教委文化財課によると、深さ約1メートル付近から出土し、最も広範囲に確認できた地点では、幅約1.5メートル、長さ16メートルほどあった。内部を区切るように丁字型に直交する箇所もあった。 市教委の2年前の調査で見つかった地業と中心線同士で約8メートル離れており、平行する形で向かい合っているという。 古い絵図や写真などから、現地には1872(明治5)年から74年の間に、2階建ての石庫が建てられたとみられる。市教委は、石庫は明治期の集成館の関連施設で、長さが約54メートル、内部が3区画に分かれていたと想定している。 市教委はほかにも、25メートルあまりにわたって続く石列などを確認した。遺構が発見された場所はいずれも、2025年3月開業のJR仙巌園駅前の広場予定地や国道の地下にあたり、世界文化遺産「明治日本の産業革命遺産」構成資産の範囲には含まれていない。遺構は既に埋め戻し、現地保存されている。
同課の圖師みゆき課長は「建物全体の規模や配置などの詳細がより解明されることが期待される」と話した。
南日本新聞 | 鹿児島
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