伊藤博文に大隈重信、吉田茂まで…政財界の大物がこぞって訪れた日本のリゾート地「大磯」の誕生秘話
日本橋を出発点に、53の宿場を経て京都三条大橋を終着点とする東海道五十三次。 その約490キロメートルにわたる長い旅路の上には、四季の変化に富んだ美しい国土、泰平無事の世の艶やかな賑わいが確かにあった。 【漫画】床上手な江戸・吉原の遊女たち…精力増強のために食べていた「意外なモノ」 各宿場を舞台にした時代小説を解説しながら、江戸時代当時の自然・風俗を追体験する旅好きにはたまらない一冊『時代小説で旅する東海道五十三次』(岡村 直樹著)より一部抜粋してお届けする。 『時代小説で旅する東海道五十三次』連載第9回 『水木しげるの「妖怪道五十三次」でも描かれた「平塚」の地…でかい犬と売れっ子絵師のふたりが往く「東海道の旅」』より続く
第8宿・大磯
『暁の旅人』(吉村昭) ☆宿場歩きガイド JR大磯駅下車。南口に出て、およそ200mで旧東海道。左折すると化粧坂方面、右折すると小島本陣跡。本陣3軒、脇本陣なし、旅籠66軒。規模は小さいが、駅前に観光案内所もある。 駅にほど近い延台寺は、曽我十郎と恋仲になった舞の名手・虎御前が、曽我兄弟を偲んで庵を結んだ跡といわれる。寺域にある虎御石は、虎御前が十郎の身代わりとなって矢や刀を受けた石と伝える。曽我兄弟は、源頼朝が富士の裾野で巻き狩りを催した際、父の仇を討った美談で知られる。
西行の歌で知られる鴫立沢
旧道をさらに二宮方面に進んだところが、西行の歌「こころなき身にもあはれは知られけり鴫立沢の秋の夕暮」で知られる鴫立沢。この一首は、三夕の歌として名高い。 鴫立庵の門前を小川が流れているが、鴫がねぐらにするには環境がちょっとねえ。鴫立庵は寛文4(1664)年、小田原の崇雪が草庵を結んだのが始まりで、俳人の大淀三千風が第一世庵主となった。今日では、日本三大俳諧道場といわれる。沢の奥は小高い丘になっており、墓石や歌・句碑が目白押しに並んでいる。 さらに足を伸ばして、島崎藤村旧宅をすぎたところが伊藤博文の旧居「滄浪閣」。他にも山県有朋、西園寺公望、大隈重信ら、明治期の政財界の要人の別荘、本宅がひしめき、明治40年前後には別荘が150戸以上に達したという。