松田聖子・62歳になっても「変わらない」ことを選び続ける凄まじいプロ根性とサービス精神
来年デビュー45周年を迎える松田聖子。トップアイドルとして芸能界を駆け抜けながら、恋多き一面も持ち、3度の結婚、幾多のスキャンダルや悲運にも見舞われた。昨年から復活した恒例の夏のツアーに赴き、今なお「聖子」が同世代の女性たちの心をとらえてやまない理由を探る。 〈画像〉一世を風靡した聖子カットや今年62歳になる聖子
デビュー直後から無双だったアイドル時代
今年6月、さいたまスーパーアリーナ公演からスタートした松田聖子の「Pre 45th Anniversary Seiko Matsuda Concert Tour 2024 “lolli♡pop”」。8月23日、その日本武道館公演に行ってみた。 18時30分の開演を前に、九段下駅から武道館に向かう坂道は中高年の女性で溢れ(男性もちらほら散見されたが)、並々ならぬ熱がすでに感じられる。まさに松田聖子と同じ時代を、同じように女性として駆け抜けてきた人たちなのだろう。この印象は日本武道館の敷地内に入るとさらに強いものになった。 松田聖子は1980年4月にシングル『裸足の季節』でデビューした。 デビュー当時のキャッチフレーズは「抱きしめたい!ミス・ソニー」。デビュー曲は資生堂の洗顔クリーム「エクボ」のCMソングに起用され、スマッシュヒットとなる。 九州、福岡県の歌手志望だった女の子(聖子)は、さまざまなオーディションに応募するも落選を繰り返し、唯一、CBS・ソニーと集英社が主催する「ミス・セブンティーンコンテンスト」九州地区大会で1978年に優勝、全国大会への切符を掴む。しかし厳格な父親の反対で全国大会への出場は叶わなかった。 このことを後の所属レコード会社担当者と何より本人が現実として受け入れがたく、紆余曲折の後、歌手デビューを目指して上京する。1979年6月、聖子が高校3年生の夏のことだ。 デビューまでが順風満帆とは言い難かったことへのリベンジなのか、デビュー後の聖子の快進撃はまさに無双。アイドルとしての頂点を極めるまではあっという間だった。