“廃線跡”の素晴らしさを語りたいのに「やばい!」しかでてこない
やばいポイント2「遺構発見時のテンション」
「きらら街道」は、野幌駅付近から夕張鉄道の旧北長沼駅の少し先までの廃線跡がそのまま道路に転用された。夕張鉄道線と国鉄室蘭本線との接続駅であった栗山駅周辺の廃線跡は農地などへの転用によりほとんどが消失してしまっているが、栗山町内の角田地区では廃線跡が単線路線の幅でそのまま道路に転用されていることから、ここが明らかな鉄道廃線跡であると一目見ただけですぐに判別することができる。 現在、札幌市と夕張市を結ぶ唯一のバス路線となってしまった北海道中央バスの高速ゆうばり号は2024年9月末をもって廃止となる見通しであるが、このバスに乗るとこの夕張鉄道の廃線跡を跨線橋で超えるところがあり、バスの車窓から夕張方面に向かって一直線に向かって伸びる細道を見ると、かつてここには石炭を満載したたくさんの貨車を連結した蒸気機関車けん引による貨物列車がひっきりなしに走っていたという夕張の最盛期に思いをはせることができる。 夕張鉄道線は夕張峠を、島根県の木次線の出雲坂根駅にあるような三段スイッチバックにより超えており、かつてはスイッチバックのあった夕張鉄道の錦沢駅を含む夕張市内の廃線跡はサイクリングロードとして整備されていたが残念ながら現在ではこのサイクリングロードも廃道となってしまっている。 夕張鉄道線の終着駅であった夕張本町駅の駅舎は夕張市民会館と一体化した建物として1963(昭和38)年に完成した。夕張市役所に隣接した夕張市民会館は、現在は閉鎖され廃墟となってしまっているが、建物自体は現存している。夕張市民会館と夕張市役所の裏手には微妙な空き地が広がっており、ここがかつて線路だった場所だと思うとさらにテンションが上がる。
やばいポイント3「モニュメントからわかる様子」
夕張市民会館からさらに夕張の奥を目指すとそこには、広大な荒地が現れる。ここは北炭夕張炭鉱の跡地を活用して1977(昭和52)年に開業した「石炭の歴史村」の駐車場跡地で、1985年まではここに初代国鉄夕張駅があった。駐車場跡地への入り口付近には大正時代の夕張駅の写真を印刷した横断幕が張られており石炭産業に沸く当時の夕張駅の様子をしのぶことができた。 国鉄夕張駅は北炭夕張炭鉱の閉山にともなって出炭機能を停止したことから1985年に夕張鉄道の夕張本町駅のあった市民会館裏に移転。さらにJR化後の1990(平成2)年にはホテルマウントレースイ前に2度目の移転を行い、2019年に当時の鈴木直道市長の石勝線夕張支線の「攻めの廃線」によりJR夕張駅は廃止された。 夕張鉄道が函館本線から分岐していた江別市側の北海道電力江別火力発電所では発電に石炭が用いられており、江別駅と発電所の間では貨物列車による石炭のピストン輸送が行われていた。 専用線末期には三井芦別炭鉱の石炭が発電に使われており、三井芦別鉄道の頼城駅から石炭輸送が行われていたが、1989年の三井芦別鉄道の廃止にともなって専用線も運行を休止。その後、発電所は老朽化により1991年に専用線とともに廃止された。 江別火力発電所はドーム屋根の屋内貯炭場が特長であったが1992年に発破解体され、1996年に発電所跡地には札幌市豊平区里塚から北海道電力総合研修所が移転した。発電所への専用鉄道の跡地は、現在は四季の道という遊歩道となっており、その途中には当時活躍していたロッド式のディーゼル機関車と石炭車がそれぞれ1両ずつ静態保存されている。