[純烈 酒井一圭さん]右脚の骨折 武道館で披露した新たな目標…最後にファンへ呼びかけたこと
一病息災
有名人に、病気や心身の不調に向き合った経験を聞く「一病息災」。今回は、歌謡グループ「純烈」リーダーの 酒井一圭(さかいかずよし)さん(49)です。 【写真9枚】「純烈」初の武道館で、後上翔太さんと横山由依さんの結婚を暗示?
思いついた無謀な挑戦…高齢者が増える時代に何が求められるか考えた
役者をしていた2007年春、映画の撮影で右脚を骨折した。医師に「歩けなくなるかもしれない」と言われるほどの重傷だった。 入院中、なぜか夢に何度も歌手の前川清さんが出てきた。前川さんがメインボーカルを務める歌謡グループ「内山田洋とクール・ファイブ」をテレビで見たことはあるが、面識はない。「何かのお告げだろうか」。そして気づいた。「前川さんは歩いてない!」 子供の頃から人を喜ばせるのが好きで、芸能界に入った。歩けなくなってもできることは何だろう。考え続けていた時だった。 「そうか、歩かないで歌うという手がある」。でも前川さんのようには歌えない。自分は後ろのコーラスをやろう。前川さん役は探せばいい。同時に、「高齢者が増える中で何が求められるか」を考えていた。若い頃に親しんだムード歌謡なら、懐かしく聞いてもらえるかもしれない――。 L字形の金属プレートで骨を固定する手術を受け、リハビリを続けた。40日後に退院。すぐに始動した。 「夢は紅白!親孝行!」の言葉を旗印に、白川裕二郎さんら戦隊俳優仲間に、歌謡グループの結成を持ちかけた。誰も歌手経験はない。「無謀な挑戦」と、皆があきれた。 「未知のことは誰でも不安。でも少しずつ形にすれば信じてもらえる。一事業として取り組みました」 この年、ムード歌謡グループ「純烈」は誕生した。
「見てるか17年前の俺。やめんじゃねえぞ!」。観客7000人を前に、そう過去を振り返った。11月25日に行われた「純烈」初の日本武道館公演。初期メンバーも駆けつけ、デビュー曲「涙の銀座線」が始まると、涙で歌が続かなかった。「プロポーズ」「夢みた果実」……人気曲の熱唱に、満席のペンライトが応え、会場は一体となった。 2007年春に右脚を骨折した。再起不能も心配されたが、入院中に「純烈」の結成を決意する。背水の陣でボイストレーニングに臨み、健康センターでファンと身近に接した。地道な営業活動を重ね、シニア層を中心に人気を集めていく。「皆さんに助けられました」。今年は初のオリジナルアルバム「純烈魂1」を発売、NHK紅白歌合戦の7度目出場も決めた。 けがには感謝している。しびれは残るものの、活動に支障はない。「生きていれば、病気もけがもある」。障害や持病を抱える人も身近にいる。「病んだり傷ついたりしたらプロに診てもらって、回復したらまた社会に出られる。病院ってありがたい」。自分を取り戻し、気づきを得るチャンスでもある。 武道館では、「夢は紅白!親孝行!」に加え、新たな目標を披露した。「健康長寿で100まで歌を」。最後にファンに呼びかけた。「長生きしてね!」(文・松本由佳)