漫画で「戦争」描き50年 「僕は僕なりに」沖縄の作家・新里堅進さん
「手記を見ても、個人(の記憶)というのは全て個人の体験なんです。同じ場所にいた人でも、角度などによって体験が違う。ある人が『あの人はあんな服だった』というと、別の人が『いや違う、もんぺだった』とか、記憶がまちまち。これでは話を描けないんです」 なるべく忠実に表現するため、新里さんは手記や歴史資料にあたるとともに精力的に戦争体験者の話を聞くようにしている。「あなたの手記を漫画にしたい」と伝えると、相手にされないことも多かったが、実際に描いて見せると納得して話してくれる人も出てくる。そのようにして集めた情報を「縫い合わせ、つなげていく」という。
「現場行ったか?」
デビューから38年。新里さんの漫画人生で、忘れられない出来事がある。 沖縄戦に動員された「ひめゆり学徒隊」を描いた作品『水筒』(1984年)を、実際にひめゆり学徒隊を引率した元教員、仲宗根政善氏(故人)に見せたときのことだ。 押し寄せる米軍から逃れた学徒たちが、沖縄本島南部、現在の糸満市魔文仁付近を逃げ惑うシーンで、仲宗根氏は、「君、現場行ったか?」と尋ねたという。 「行ってない訳さ。行ってなくてもだいたい分かる訳さ、感じはね。それで書いたんだけど、先生は『違うよ』って。『南部の海岸はね、本当に岩がかみそりの刃のように鋭かった。そこを逃げたんだよ、君見てないだろ』って。すぐに見に行ったんだよ。そしたら本当にかみそりのように鋭いところだった」
この経験を機に、新里さんはさらに忠実に、緻密に当時の様子を描くようになった。 例えば、現在製作中の作品『山原(ヤンバル)戦記~これからを生きる君たちに~』(2017年夏ごろ完成予定)。沖縄戦に投入され、玉砕した九州出身者らの部隊が登場するが、新里さんはその隊長(大分県出身)の遺族と連絡を取り、生前の写真を入手し、表情を描いた。さらに、隊員たちが話したと思われる九州の方言を再現するため、九州の知人に原稿を送り、書き直しを依頼した。