『関東大震災』『羆嵐』…公開された吉村昭の書斎 東京・井の頭公園近く 現着しました
緻密な調査を下地にした乾いた文体の歴史小説などで、没後も多くの読者を魅了する作家、吉村昭(1927~2006年)。数々の作品を生んできたその書斎が今年3月から東京都三鷹市の井の頭公園駅近くで一般公開されている。資料にあふれた創作の現場を訪ねてみた。 【写真】作家の吉村昭 ■「学者の本棚」 壁を埋める備えつけの書棚に研究者は「学者の本棚だ」と感嘆したという。そこには各地の自治体が発行する市町村史や「戦史叢書」などの資料が並んでいる。机の上に目を移すと、愛したたばこや万年筆を傍らに、端正な字で埋まった原稿用紙が置かれていた。整理は行き届いているが、散らばった床の本が、執筆の苦労をうかがわせる。展示物のほとんどはレプリカだが、息遣いを感じるには十分だ。 吉村は東日本大震災で関心を集めた『関東大震災』『三陸海岸大津波』や、ヒグマと人間の戦いを描いた『羆嵐』など生涯で100を超える小説、エッセーなどを著した。生前の本紙のインタビューでは、この書斎を「この世で一番安らぐ場所」(平成11年5月31日付朝刊)と形容している。毎朝9時半ごろに入り、午後6時ごろまで執筆や資料の読み込みをするのが日課。机の後ろには小さな応接セットがあるが、学芸員の吉永麻美さんによると、午後3時にはお茶とお菓子を手にした妻で作家の津村節子さん(95)と会話を楽しんだという。 書斎は昭和50年代に母屋の離れにつくられた。離れは書斎と津村さんの四畳半の茶室、トイレなどの水回りという簡素なつくり。吉村は前出のインタビューで、離れに書斎を設けたきっかけについて、執筆中に時々〝うなり声〟をあげることから、津村さんに母屋の書斎から「追い出されてしまった」とユーモラスに語っている。もっとも、併設展示で放映されている津村さんの談によると、吉村の以前の書斎が資料ですぐに埋まってしまったことが大きな理由だという。 ■そのまま移築 書斎は「三鷹市吉村昭書斎」として、市スポーツと文化財団が建物をそのまま移築する形で3月9日に開館した。月内だけで約700人が訪れ、中には北海道からの来館客もいた。津村さんも開館前に訪問したといい、吉永さんは「椅子に腰かけ、少女のように喜んでいた」と振り返る。財団の天野昌代芸術文化課長は「今後は、茶室などを使ってイベントなども企画したい」と意気込む。 現在書斎が建つ三鷹市井の頭の地は、吉村が長く住んだ地域でもある。吉村はこの地を愛し、執筆後には自宅近くのすし屋で杯を重ねて住民と交友を重ねた。地元のコミュニティー紙の紙面が空いていると聞き、文章を寄せたこともあったといい、開催中の企画展「三鷹で暮らした吉村昭」では、地元の町内会長に送った揮毫入りの皿なども展示されている。