古内一絵「東京ハイダウェイ」 現代を生きる人の心情に寄り添い、心の隙間を埋める
ロスジェネ世代を下の世代から見ると
パラウェイという会社を核にして、各話の登場人物は配置されている。次の「森の箱舟」は、桐人と同じマーケティング部でマネージャーを務める米川恵理子という女性が主人公だ。“役割”に準ずるのがうまい、と自分でも認識している彼女は、職場ではやり手の管理職、家庭では夫と育児を分担する二児の母親として、誰からも感心されるように日々をこなしている、ように見える。だがその心中にも目に見えない歪みが生じていた。ある日それが限界に達し、会社に電話を入れる。 “「今日は、サボります」 気づいたときには、そう告げていた。 「承知しました。お気をつけて」” このとき電話を受けたのが神林璃子であるところが連作の妙である。このサボりの最中に恵理子は自分だけのハイダウェイを発見する。 「森の箱舟」でうまいな、と感じたのは恵理子の入社を1999年にしたことだ。非正規雇用の派遣社員は彼女を“なんでも手に入れられた世代”となじるのだが、それは恵理子よりも10年以上上のバブル世代である。恵理子は景気が下降し、先が見えなくなった時代を生き抜いてきたロストジェネレーション世代の一員なのだ。下の世代から上を見ればみんな恵まれた大人で、自分たちだけが辛い目に遭っていると感じる。世代感覚の皮肉がそうした形で表現されている。
個人の悩みを通し、2020年の日本が浮かぶ
次の「タイギシン」は都立高校1年生の大森圭太が主人公である。ここで描かれているのはいじめの問題で、圭太はその標的にされてしまっている。新型コロナウイルスの蔓延で自宅学習が求められた日々は、むしろ彼にとっては福音であった。学校に戻ればまた辛い日々が待ち受けているので、できればこのまま家にいたい。そうした気持ちを口にするすべも、16歳の圭太は知らないのである。ここでは追いつめられた少年の痛ましい心情が繊細な筆致で描かれている。いじめを受けたらさっさとそこから逃げればいい、なんていう物言いは逃げることの大変さを知らない大人の物言いだ、と圭太は考える。 恵理子の学友・植田久乃が語り手を務める「眺めのよい部屋」はアセクシャル、すなわち性的な関係に価値を見出せない人が世間との摩擦に悩まされることを軸とした話である。もっとも彼女を困らせるのは、最大の理解者である母親なのだ。娘の身を心配して結婚を勧める母を、主人公は愛しく思いつつも疎み、避け続ける。「ジェフリーフィッシュは抗わない」は映画会社のプロデューサーを経てパラウェイに入社した50代の男性・瀬名光彦が主人公で、日に日に社会の価値観が更新されていることと、それに追いつけない人のそねみとが描かれる。光彦が喫煙者なのは、彼が古い世代に生きていることの象徴だろう。この作品では、クリエイターによる性加害の問題が扱われる。旧い側の人間である光彦は、果たしてその問題に対してどのような態度を取ることになるのか。 個々の主人公に対しては、作者は寄り添って心情をそのままの形で素描しようとしている。彼らの背景には現代そのものさまざまな問題があり、個人の立場からはそれがどのように見えるかということが物語の形で描かれる。個と社会という関係性がそれによって成立し、2020年代の日本という全体が浮かび上がるという仕掛けなのだ。気負わず、それを行った古内の手腕に感心させられた。 最後の「惑いの星」は、ここまで物語の背景に隠れていた神林璃子が主役を務める物語である。これについてはあえて書かない。心の最も柔らかい部分を傷つけずに扱おうとする、古内の手つきは素晴らしいものである。 今回の本欄は、直木賞候補作発表の直後ということもあって、どの作品を選ぶかおおいに迷った。できればこの作品を選んでもらいたかった、というのが『東京ハイダウェイ』を取り上げた理由である。古内一絵、人の心を優しく描く作家だ。信頼できる書き手である。
朝日新聞社(好書好日)