2025年大河ドラマ『べらぼう』主役・蔦屋重三郎、出版物は“有害図書”だらけ? 幕府と戦い続けた江戸のメディア王の信念
東洲斎写楽を売り出した大博打
遊女たちの絵が人気を集めるのを嫌った幕府は、絵に彼女たちの名前を入れることを禁止します。 これに対抗して蔦重は、コマ絵を読み解けば名前になって誰の絵かわかる、「判じ絵」というものを考案します。 さらに幕府が遊女を描くことを禁ずると、今度は評判の茶屋娘を描くことで、公序良俗に反しない、「会いに行けるアイドル」を売り出す工夫もしました。 しかし、いつまでも幕府と追いかけっこをしたところでキリがありません。常に幕府が睨みをきかせており、頼みの歌麿も、このままでは仕事がしにくくなります。 そこで蔦重が目をつけたのが、娯楽の定番で規制もされていないもの。歌舞伎の「役者絵」だったのです。 このジャンルに登場したのが、東洲斎写楽という謎の絵師でした。 喜多川歌麿、葛飾北斎、そして歌川広重と並び、浮世絵師四天王の1人ともなっている写楽。ただし、その正体はいまだに判明していません。 定説では、能役者でもあった斎藤十郎兵衛という人物だったとされますが、果たして絵師でもなかった役者に、これだけの創作ができたのか。それゆえ喜多川歌麿や歌川豊国、あるいは葛飾北斎から山東京伝、蔦屋重三郎自身など、写楽の正体をめぐる説は多数あります。 いずれにしろ蔦重は、背景を黒く光る絵具で塗りつぶした大胆な手法で、この新人絵師の版画を、一気に28枚、同時発売しました。 普通、新人絵師が売り出す際の作数は多くて3枚程度ですから、これは途轍もない同時発売です。 写楽が活動したのはたった10カ月だったのですが、彼は忽然と姿を消すまでに、145点以上という膨大な数の絵を描き上げました。 もっとも、この写楽の作品が、当時の江戸で大ヒットしたかといえば、実のところ、「さほど売れなかった」というのが真相のようです。 それが10カ月で終わった理由でしょうか? モデルとなった役者たちからも、「ありのままを描きすぎる」と不満を持たれていたことが知られています。 ただ、明治以降、写楽の作品は欧米の美術家たちが評価したことで、世界的に価値を高めました。 よって現在では写楽は浮世絵師として、最も有名な人物の1人とされています。 文/車 浮代
---------- 車浮代(くるま うきよ) 1964年大阪生まれ。大阪芸術大学卒業。江戸文化、特に浮世絵と江戸料理に造詣が深い。映画監督・新藤兼人氏に師事し、シナリオを学ぶ。現在は作家の柘いつか氏に師事。著作は20冊を超え、小説『蔦重の教え』(飛鳥新社/双葉文庫)はロングセラーに。近著に『気散じ北斎』(実業之日本社)がある。国際浮世絵学会会員。第18回シナリオ作家協会 大伴昌司賞大賞受賞。2024年春、江戸風レンタルキッチンスタジオ「うきよの台所─ Ukiyo’sKitchen ─」をオープン。江戸料理の動画配信も行っている。 ----------
車浮代