米国で否定された“日本流”「誰も楽しくないだろ」 WBC右腕が痛感した野球の違い
アンダースローで活躍した渡辺俊介氏、2013年オフにはレッドソックスとマイナー契約
近年は希少と言われるサブマリンの名投手として、ロッテの顔でもあった渡辺俊介氏。2013年シーズン後、37歳にして米国に行くことを決意したきっかけは、何だったのか。「ずいぶん年月が経ってしまったので、あの時の新鮮な気持ちと、今思い出した気持ちでは違いがあるかもしれない」と前置きをしつつ、振り返ってくれた。 【画像】日本人メジャーリーガー妻が大開脚で大胆ポーズ「きれいすぎ」 渡辺氏はロッテでメジャーでの監督経験もあるボビー・バレンタイン氏のもとでプレーし、WBC(2006年と2009年に選出)でアメリカの野球に触れ、MLBでのプレーに興味を持つようになっていった。「日本の野球をずっと続けてきて、だいたいイメージ通りというか、先を想像できるようになっていたんですね」。野球人として、改めて自分を奮い立たせるきっかけが欲しかった。 0勝4敗に終わった2013年のオフ、メジャー挑戦を表明してロッテを退団。レッドソックスとマイナー契約を結び、翌春のスプリングトレーニングで登板機会を得た。「何もわからないことだらけだし毎日が新鮮でした。グラウンドに行くだけでこんなにワクワクするのはいつ以来だろうと、それこそ野球少年に戻ったような気持ちでしたね」。 この「ワクワク」の理由はどこにあるのだろうか。「日米の野球は性格が違いますよね。最近は変わってきましたけど、日本の野球は『野球道』。アメリカは『プレー・ベースボール』というか」。まずは端的に日米の違いを示してくれた上で、こう続ける。 「何かを極めた、トッププレーヤー同士の話というのは、お互い通じるものがある。でもそこに向かう過程が(日米で)結構違うなと思っていて。一番違うのは、日本の場合、練習でも楽しんじゃいけないような空気感が僕のやっていた時代は大きかったですから。苦しんで苦しんでその先に、という修行のような感覚ですよね。修行して修行して、結果を出した時にそれが報われたような達成感というか」 しかし、米国やバレンタイン氏のもとでプレーした時は違った。「『お前たちは野球が好きだろう、まず楽しめ』って。本当に楽しいのは力を発揮して勝てた時だけど、そのためにもまず楽しむことが大前提だって言うんですよね。『あ、楽しんでいいんだ』っていう。日本ではあまりなかった感覚なんですよね」。