ギリシャの元ロイヤルファミリー、市民権を獲得する 王制廃止から50年後に実現
1974年、国民投票によって君主制が廃止され共和国になったギリシャ。当時国王だったコンスタンティノス2世(写真左)はその数年前、軍事クーデターが起きた時点で家族と共に国外に亡命。イギリスで暮らし始めていた。1994年に王室の財産の所有権やギリシャの市民権の獲得を主張する申し立てをしたが、王位継承権の放棄を拒否したために実現しなかった。ギリシャへの一時帰国だけは認められ、晩年は祖国で過ごしていた。2023年1月にアテネで亡くなった。
その国王の子どもや孫たちが市民権を求めて申請、認められたことが明らかになった。ギリシャの官報が伝えている。誰が申請していたのかは明らかにしていなかったが、報道によると10人が申請。その中には元国王のコンスタンティノス2世とアンヌ=マリー元王妃の5人の子どもたち全員、つまりアレクシア王女、パウロス皇太子(写真右)、ニコラウス王子、セオドラ王女、フィリッポス王子が含まれていた。
残り5名はパウロス皇太子と妻のマリー・シャンタル皇太子妃(上写真の左)の間に生まれた子どもたち-マリア=オリンピア王女(写真)、コンスタンティノス=アレクシオス王子、アキレアス=アンドレアス王子、オディッセアス=キモン王子、アリステイデ=スタウロス王子。新聞「デイリーメール」が報じている。
週明けにコンスタンティノス2世元国王の長男であるパウロス皇太子がSNSで声明を発表、市民権が認められたことを明らかにし、今の心境を綴った。「30年の時を経て、私たちが再びギリシャの市民権を得たことを感慨深く思っている。1994年の法律によって私たちは市民権を剥奪され、個人の権利という点で無国籍者となり、それは大きな精神的苦痛を伴った」「私たちの父と家族は1974年の国民投票の結果を完全に尊重していた」とコメントしている。皇太子は1994年に制定された市民権に関する法律が「当時の政治状況の結果であり、ギリシャの元国家元首に適したものではなかった」「私たちの父の死は1つの時代の終わりを告げるものだった」と説明している。 (写真はセオドラ王女とフィリッポス王子)