瀬戸内寂聴さん没後3年「接した10年が私の力に」元秘書・瀬尾まなほさん心境語る
瀬戸内寂聴さんが2021年11月9日に亡くなってから3年になるのを前に、晩年の10年間、秘書として寂聴さんをそばで支えた瀬尾まなほさん(36)に、京都市の寂庵で現在の心境などを聞いた。仕えていた人を失い、自分の存在意義を見失う時期もあったが「瀬戸内との10年間が今の私を強くしてくれたことに最近気づけた」と話す。月1回の法話に大勢の人が詰めかけていた寂庵の今後については「今のところ未定だが、記念館になるようなことはないと思う」と語った。 瀬戸内寂聴さんの遺句集「定命」出版 寂庵で遺稿見つかる 瀬尾さんは大学卒業後の2011年、寂聴さんの自宅兼事務所の寂庵に就職。2年後にベテランのスタッフ4人がそろって退職した「春の革命」を機に秘書となり、66歳差の2人の相思相愛ぶりがメディアで多く取り上げられた。瀬尾さんは今も、寂聴さんの作品の著作権管理などの仕事に当たっている。 「亡くなった直後は本当に大変で、自分の役目をこなすのに必死だった。その後も去年の三回忌まで、死の事実を受け入れられなかった」と瀬尾さん。秘書時代は「瀬戸内がいてこその自分」との意識が強く、後ろ盾でもあった人が世を去り、自分の存在意義が分からなくなった。しかし、寂聴さんにまつわる講演や執筆に取り組むうち「私にはまだできることがある」と思えるようになった。 自分を取り戻した今、強く感じるのが寂聴さんに接してきた10年間の重みだ。「私と瀬戸内との時間は目には見えないけれど、誰にも奪われることはない。この中に、私がこれから生きていくための力がある」と話す。 寂聴さんが亡くなった時のことも振り返った。死去前日の21年11月8日、寂聴さんの親族が帰った後、病室で横たわる寂聴さんと2時間ほど、二人きりの時間を過ごせたという。「私が一方的に日々の出来事を伝え、息子のことを話した時、口角が少し上がった気がした。あの時間が持てて本当に良かった」 寂聴さんからは「私なんかと思わない」「おかしいと思ったことはちゃんと口に出す」などさまざまな人生訓を受けた。だが、よく思い出すのはそうした言葉より、日常のありふれた姿だ。「寂庵の廊下から庭を眺める様子や、すき焼きの締めで、おじやを作ってくれた時のことが頭に浮かんでくる」。夢に出てきて何か語りかけてくれることはないが「ある人から『まなほは大丈夫』と思っているからだと言われた。その言葉がふに落ちた」と言う。 法話が行われていた寂庵のお堂には、寂聴さんの祭壇が今も設けられたままだ。「存命中にお会いしたかった」「法話を一度聞いてみたかった」と、たまに訪れる人もいる。著名人のゆかりの場所が記念館になるケースがあるが、寂庵については「記念館は岩手県二戸市にあるし、徳島にも文学書道館がある。維持していくのも大変なので、寂庵が記念館になるようなことはないと思う。親族からも方向性が決まったとの話はない」とした。 瀬尾さん自身は著作権管理などの仕事とともに、寂聴さんが道を開いてくれたという執筆活動を続けていく。来年3月ごろに、育児をテーマにしたエッセーを出版する予定だ。