フェンシング小久保真旺が語る、サーブルの魅力と過酷さ
17歳という若さで全日本選手権を制した小久保真旺。そして、今はサーブルの中心選手の一人として、来年のパリ・オリンピックの出場に懸けている。(雑誌『ターザン』の人気連載「Here Comes Tarzan」No.866〈2023年10月5日発売〉より全文掲載) [画像]小久保真旺選手
サーブルはダイナミック。見ていて一番楽しいと思う
小久保真旺は3年前、2020年のフェンシングの全日本選手権で最年少優勝を果たした若手の注目株である。 フェンシングにはフルーレ、エペ、サーブルと3つの種目があるが、小久保はサーブルの選手だ。まず、彼にこの種目について語ってもらう。 「サーブルはフルーレやエペよりもスピードがあって、一瞬で攻撃が決まるというのが華やかですね。 他の種目はゆっくりと進めていって、相手との駆け引きで1ポイントを獲るために何度も競り合いが展開していく。でもサーブルは“プレ、アレ”という始めの合図で、瞬間的に動いて勝負が決まる。速い方が勝つんです。ダイナミックだから、見ていて一番楽しい種目だと思いますね」 確かに、サーブルは面白い。理由の一つは、他の2種目では“突き”しか認められていないのだが、サーブルでは“斬り(カット)”も認められている。そのため、攻撃でも防御でも動きは大きくなる。 また、サーブルでは、攻撃できる有効面は腕と頭を含む上半身に限られる。これにより下半身を狙うことがなくなるので、脚さばきはスプリント選手のように大胆でスピーディになるのだ。 実は17歳という最年少で優勝している選手は、もう1人いる。それが、太田雄貴さんである。高校2年生で全日本に勝利した太田さんは、08年の北京オリンピックで日本人初の決勝進出。見事、銀メダルに輝いた。 これが、現在の日本の実力アップに確実に繫がっているし、彼の貢献度は計り知れないのだが、彼の種目はフルーレである。小久保のサーブルでの優勝とは、ちょっと意味合いが違っているのも確かなのだ。
基本的な動作ばかり、イヤイヤやっていた
三重県鳥羽市の出身。この地はフェンシングが盛んというほどではないかもしれないが、多くの人に認知されている。東京オリンピックのエペ団体で金メダルを獲った山田優の出身地でもある。小久保は父の職場の人の勧めで6歳のときに始めた。 「地域のスポーツクラブがやっていたり、近くの高校にもフェンシング部があって、そんな環境でした。小さい頃って、単純に剣を振り回すのって楽しいじゃないですか。それに魅かれて始めたんです。 ところが小学校の間はずっと練習が楽しくなくて(笑)。脚を動かしたり基本的な動作ばかりを繰り返すのがつまらなかった。今はこれが自分の基礎になっていることがわかるのですが、その頃はイヤイヤやってましたね」 ところが、小学校6年生の終わりから中学生ぐらいになると、フェンシングが面白くなっていく。 それまでは剣を振り回すことで満足していたが、勝負にこだわりが出てきた。年齢が上がるごとに勝つことが難しくなるから、それを意識するようになったのだ。このときはまだフルーレの選手だった。実は、日本ではまずフルーレを学ぶのが普通なのだ。 種目変更のきっかけとなったのが兄。彼がサーブルを始めたのだ。そして、小久保が14歳のときにサーブルの選手を探すために行った適性テストに応募して合格。月何回か東京・北区にあるトップアスリートのためのトレーニング施設、ナショナルトレーニングセンターに通うようになったのだ。 それから、たった3年で日本の頂点へ。フルーレとの違いはここにある。幼い頃から習うフルーレと違い、サーブルでは歳の差で経験値が大きく変わり、若い選手はなかなか勝てないのだ。だけど、と小久保は笑いながら言う。 「普段、ここ(ナショナルトレーニングセンター)で練習している選手がみんな全日本選手権に出るので、お互い手の内を知っているというか、それで高校生でも勝てたんですね。多分、ぶっつけでやっていたらダメだったと思います。だって、あの頃は日本代表クラスの選手との練習では、全然勝てなかったですから」 そのトレーニングセンター、19年に新しくなり、選手にすばらしい環境を与えてくれている。フェンシングは、ピストと呼ばれる幅1.5~2m、長さ14mの細長い試合場で行われるが、ここには30面もそれがある。 日本代表クラスが会し、ズラリと並んで練習する様は圧巻だ。こんな場所は日本では他になく、世界でもほんの数えるほどしかない。