恋愛小説の行方は? 対談 小池真理子×川上弘美
恋愛小説とは何か?
小池 恋愛小説を書くのがすごく難しい時代になりました。恋愛が成立しづらい。関係性を善か悪か、で決めつけるから、不倫は絶対的な罪になる。恋はただ、落ちてしまうものだと思うんですけどね。性的欲望も同じで、これまた自然にわきあがってくるものだから、いいも悪いもない。そういう観点で私は小説を書いているので、どうしても設定として配偶者がいる人の恋愛を書くことが多くなる。一部の読者から、不潔で汚らわしいから読まない、などと嫌われてしまった時期もありました。でも、『アンナ・カレーニナ』や『ボヴァリー夫人』を例にあげるまでもなくて、世界の文学史に残る恋愛小説の多くは、許されざる恋がテーマになっています。現実の自分に引き寄せて読めば、こんなことを夫(妻)にされたら、許せない、ということになるのでしょうけどね。小説をそんなふうに読むのは、もったいないのひと言。 川上 私も、恋愛小説を書く小説家、と言われてきましたが、ずっと悩みがあって、素敵な男の人、を絶対に書けなかった。『センセイの鞄』という本が恋愛小説として皆さんが読んでくださるのですけど、あのセンセイだって、動物としてはかわいいけど、男の人としては、ちょっと違うんじゃないかと(笑)。去年、『恋ははかない、あるいは、プールの底のステーキ』という本を出して、それは、恋愛小説じゃないんです。老人小説なんです。60代の、昔からの知り合いの男女の話なのですが、コロナのもとで、会ったり会わなかったりするのですが、この小説で、はじめて、素敵な男の人を書けました。 小池 それは官能的というか性的な要素を省くことによって? 川上 意図して省いた訳ではないのですが。実は、恋愛って性欲部分がほとんどなのでは、と内心ずっと思っておりまして。 小池 私も思っていますよ。 川上 それなのに、なんでみんな、恋愛が素敵、と言うんだろう。ある年齢までは、性欲に衝き動かされることは、どうしようもなくありますが、そうではなくなった時に、本当に相手を見る、ということが一番素敵かな、と。 小池 年と共に失っていくものはあるけど、これまで知らなかったことがわかってくる。 川上 年取っていいこと、それですよね。 小池 ただ、性欲というと生々しいですけれど、性的な関心があるからこそ、異性に惹かれて、恋愛感情をいだくわけで、それがなければ恋愛小説、恋愛文学は成立しない。私達もそういう意味での恋愛小説を読んで、自分でも書いてきたと思うんです。でも今、この年齢になって、本当に、若い頃には夢にも思わなかったような、未知の世界が拓けてきました。 川上 人と人との関係は、いつも書いていたいことなのですけれど、それを恋愛に特化しなくてよくなった、というのが、この年になってすごく嬉しいことかな、と思います。 小池 私、古希を迎えました。今一番真剣に考えているのが、老い、そして死。万人に襲い掛かってくるものが見えてくる時期にさしかかった一人の作家として、何をどう書くか、ずっと考えてる。 川上 私は今、66歳。63歳を過ぎた頃、「しめた!」と思いましたね。これからは、多くの場合、小説の中で「おじいさん」「おばあさん」とくくられてきた60代以上の人たちを、実感を持って、細かく、具体的に書けるぞ、と。『恋ははかない、あるいは、プールの底のステーキ』は60代小説で、70代になったら70代小説を書きたいです。 小池 だけど私、コロナ禍の頃からすごく気になっていたのですが、高齢者、高齢者、と言われるけれど、もっと他の言い方がないものかと。 川上 え、わたしは自慢気に「前期高齢者だから」と言っていますよ。気に入っています。昔は「老人」と言っていましたしね。小池さん、「高齢者」の代わりの言葉を発明してください。 小池 うーん、「マダム」「ムッシュー」ではどうかしら。 川上 それ、やだなあ(笑)。 小池真理子(こいけ・まりこ) 1952(昭和27)年、東京生まれ。96年『恋』で直木賞、98年『欲望』で島清恋愛文学賞、2006年『虹の彼方』で柴田錬三郎賞、13年『沈黙のひと』で吉川英治文学賞を受賞。近著に『神よ憐れみたまえ』、エッセイ『月夜の森の梟』、短編集『日暮れのあと』など。 川上弘美(かわかみ・ひろみ) 1958(昭和33)年、東京都生まれ。96年「蛇を踏む」で芥川賞、2001年『センセイの鞄』で谷崎潤一郎賞、14年『水声』で読売文学賞、23年『恋ははかない、あるいは、プールの底のステーキ』で野間文芸賞を受賞。近著に『明日、晴れますように 続七夜物語』、エッセイ『東京日記7 館内すべてお雛さま。』など。
川上 弘美,小池 真理子/文春文庫