「オンナ寅さん北京をゆく!? 新境地の魅力」綿矢りさ×藤井省三『パッキパキ北京』対談
魯迅の「阿Q正伝」とはなんだったのか
藤井 先ほど綿矢さんは中国に関心を持たれたのは比較的最近だとおっしゃっていましたが、実は十五年近く前に読売新聞の書評で拙訳の魯迅『故郷/阿Q正伝』を取り上げてくださっています。その書評でこの短編集に共通するのは貧しい友や病気の父を助けられなかったという後悔が滲み出ていることだと書かれていましたよね。今回の『パッキパキ北京』にも魯迅が出てきますが、綿矢さんは魯迅のどこに惹かれたのでしょうか? 綿矢 貧困や衰弱していく人間への厳しさ、でしょうか。人を見る目が魯迅はとても厳しいと思います。冷たくはねのけるんじゃなく、どうしようもない世の中の荒波に削られていく人間の零落、没落を正確に描く強靭さがある。それが個人的にはとても刺さりました。「故郷」や「孔乙己」、あるいは「祝福」といった短編を読んでいると、久しぶりに再会した友人が落ちぶれて、救いようもないぐらいに疲れて傷ついている姿を魯迅が何度も書いていることに気づきます。その書き方が心を揺さぶると言いますか。なぜ魯迅は没落した友人たちに同情しつつも、あんなに厳しい視点で繰り返し彼らの悲劇を書いたのか改めて読み返しても不思議に思います。 藤井 魯迅が生きた時代が大転換期だったからでしょうか。中国では十九世紀半ばから一九二〇年代の末まで全国規模での内戦が続き、欧米や日本の進出・侵略を受けておりました。清朝は世界で最も豊かな国で、世界中の金や銀が集まってきていたのですが、そんな国が崩れてしまう。辛亥革命(一九一一)を経て中華民国が成立し、共和国体制が成熟するまで、六十年余りもの間、混乱が続いた。魯迅の周りには没落した人たちが至るところにいたんですね。 綿矢 魯迅は運よく没落しなかったということでしょうか。 藤井 彼の祖父は魯迅の父を科挙の試験に合格させるために賄賂を送り、それが発覚して死刑判決を受け、執行を延期してもらうために実家の財産をさらにつぎ込みました。彼の父親も不治の病にかかり治療費がかかったので、魯迅の実家も没落してしまいます。 でも、彼は科挙の受験を諦めて、鉱務鉄路学堂という工学系の専門学校に行き、卒業後に公費留学生として日本に渡ることで転機を摑むのです。当初は仙台医学専門学校(現在の東北大学医学部)で医学を学んでいたんですが、一年半で退学して文学へ転じ、三十代末に作家としてデビューします。実家は零落してしまいましたが、彼自身は留学から帰国後には故郷の師範学校の教員や、中華民国成立後には北京政府の教育部(日本の文部科学省に相当)官僚となりました。そして二〇年代末からは専業作家となって、病死するまでの十年間は、上海郊外のマンションで豊かな中産階級の暮らしを送りました。 綿矢 そうなんですね。先生は同書の解説で村上春樹さんの「作者が自分とまったく違う阿Qという人間の姿をぴったりと描ききることによって、そこに魯迅自身の苦しみや哀しみが浮かび上がってくる」という批評を紹介されていました。魯迅と阿Qの距離感というのは、読んでいる間じゅう気になるところだと思います。私は今回、自分と主人公の間に距離のある状態で小説を書きながら、彼女のことが羨ましいと思ったりしたのですが、魯迅はどんな思いで阿Qを描いたのでしょうか。 藤井 『パッキパキ北京』にも阿Qのことが出てきますね。作中では菖蒲さんの夫が「魯迅は当時の中国の民衆の精神構造に危惧を抱いて、阿Qを描くことで衆愚を啓蒙しようとした」と言っております。これは一番主流の中国共産党お勧めの解釈です。伝統的中国人の悪いところを阿Qに集中させて魯迅は批判したというわけですね。 それに対してこんな阿Qの捉え方もあります。あれは一九七九年、私がまだ大学院生で中国に留学したときでした。北京大学で、錢理群(チエン・リーチュン、せん・りぐん、一九三九~)という私より十数歳年上の院生さんに出会いました。専門が同じ魯迅研究でしたので話が盛り上がったのですが、その時に彼が「阿Qは私だ」と言うんです。阿Qに対する一種の共感ですね。一方で国民性批判としての解釈があり、他方に阿Qの弱さ悪さを自己と重ね合わせる読み方がある。魯迅はその両方を見据えていたんじゃないかと私は考えています。 「阿Q正伝」では冒頭で、語り手が阿Qという無名の人の伝記を書くことの難しさについて書いております。そのうち語り手はすーっと消えてしまうのですが、その前に彼は自分の「頭の中に阿Qのお化けでもいるかのようである」と述べています。つまり、語り手は、これから極めて愚かな阿Qの一生を書くのだけれども、その阿Qが自分と一体化していることを表明しているわけです。もちろん語り手=魯迅ではありませんが、そう彼に語らせる魯迅は自らも阿Q的遺伝子を持つことを自覚しながら、劣悪なる阿Qに鞭を打つ。国民性批判と「阿Qは私だ」という自覚とが魯迅の内部で葛藤していたんだろうと思うのです。 綿矢 なるほど。とても腑に落ちました。確かに批判のためだけに書いているにしては阿Qはただ愚かとは言い切れない、非常に個性的な考え方と性格をしていて、人の心に残るような人物になっています。私も単純に愚かな人間とは言い切れないようなところが阿Qにはあると思っていて、その両方の気持ちで魯迅が「阿Q正伝」を書いたと言われれば納得できますね。