山田透アナ「メガネ、ワイシャツは全部ダメ。ぐちゃぐちゃ」選手は楽しいビールかけもアナウンサーには辛い時間!?「若い人が担当で、勘弁してよ(笑)」
◆ いつでもみんなのプロ野球!実況アナルーム9月のテーマは“プロ野球優勝にまつわるエピソード” 「何枚もスーツ、ワイシャツ、メガネは祝勝会で失っている。会社は補填してくれない(笑)」。 ニッポン放送ショウアップナイターで実況を務める山田透アナウンサーは、リーグ優勝後に行われるビールかけのエピソードについて語ってくれた。 1992年にヤクルトが78年以来14年ぶり2度目のリーグ優勝を果たしたが、同年はヤクルト、阪神、巨人で最終盤までリーグ優勝を争い、10月6日に首位に立ったヤクルトは、10日に敵地・甲子園で行われた阪神との直接対決に5-2で勝利しリーグ優勝を決めた。野村克也監督にとって就任3年目での悲願達成だった。 山田アナは10月10日の阪神-ヤクルトの実況を務め、その後、ヤクルトの祝勝会の司会を担当した。「胴上げ実況もやって、選手たちは祝勝会会場でビールかけ。昔は被り物とかそういうのを着ての祝勝会じゃなくて、スーツ着て司会をやったんだよ。“それでは只今より”と言おうとしたら、バーンとビールをかけられて、“まだですよ”、と言ってたらビールをかけられた。グチャグチャになったという思い出があります」。 山田アナは翌93年もリーグ連覇したヤクルトの優勝祝勝会の司会を務めた。「ビール瓶とか慌てればプールサイドにガラスの破片とか危ないんだよ。にもかかわらず、当時嬉しくてしょうがないというか、ビールかけをかけていない人たちも、プールの温度を30度くらいの設定なのかな、温水にして飛び込んだりしていましたね」。 「メガネ、ワイシャツ全部ダメ。ぐちゃぐちゃ、メガネは壊されるは、そんな状況だった。今みたいに通常通りというのがない。みんな慣れきっちゃっているんだよ、最近は」。 2000年に巨人がリーグ優勝した時も「めちゃくちゃビールをかけられましたね」とのことで、当時もスーツを着てビールかけのインタビューをしたという。 気になるのは、ビールをかけられた後、帰りはどうしていたのかーー。 「ビール臭くてね。甲子園の時は小野浩慈と、とりあえずタクシーに乗ってホテルに戻るのに最悪だなとか言いながら、2人で自分たちの宿舎へ戻ったのを覚えている。翌年は最初から予想ができたから、自分の車で行って、その時には会社もホテルの部屋を取っていた。シャワーしてくださいとかいうのはあったので、着替えとかも持っていったね」。 今年でアナウンサー生活50年目の山田アナ。15年にヤクルトがリーグ優勝した時はグラウンドでビールかけをやったが、その時は「その中には入らないようにしていた。わかっているから。やったことのない人が選手のところにインタビューしてかけられるのが定番だから。もう何回もやってきたから。それは自己責任だから、嫌だもん(笑)」とのこと。 最後にビールかけのインタビューを務めたいという気持ちがないか訊くと、「じいさんだからやらない。若い人が担当で、勘弁してよ(笑)世代交代、もういいよ(笑)」と笑顔を見せた。 (ニッポン放送ショウアップナイター)
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