「ガリアーノがいないファッション業界なんてすごく退屈だと思った」──映画『ジョン・ガリアーノ 世界一愚かな天才デザイナー』監督インタビュー
ジョン・ガリアーノが起こした事件から復活までを追ったドキュメンタリー『ジョン・ガリアーノ 世界一愚かな天才デザイナー』。監督を務めたケヴィン・マクドナルド監督に、本作を製作するに至った理由やファッション業界の闇、キャンセルカルチャーについての想いを訊ねた。 【写真を見る】『ジョン・ガリアーノ 世界一愚かな天才デザイナー』で口を開いたセレブたちをチェックする
■あれから13年、ジョン・ガリアーノが口を開いた 2011年2月、ファッション界に衝撃が走った。クリスチャン・ディオールのクリエイティブ・ディレクターだったジョン・ガリアーノが反ユダヤ発言で告発されたのだ。カフェで泥酔して暴言を吐く動画がネットで拡散し、有罪判決を受けたガリアーノは、ブランドから解雇される。事件から13年が経ち、ガリアーノがカメラを前に「すべてを話す」と口を開いた。ファッション界の天才児と持て囃されたガリアーノの転落と再起を追ったドキュメンタリー映画が完成した。 メガホンを取ったのは、『ブラック・セプテンバー/五輪テロの真実』(99)でアカデミー賞長編ドキュメンタリー映画賞を受賞したケヴィン・マクドナルド監督。『ホイットニー~オールウェイズ・ラブ・ユー』(18)では、不幸な最期を遂げたシンガー、ホイットニー・ヒューストンのレガシーを輝かせる一方で、セレブ・カルチャーの醜悪さを描き出し、高い評価を受けている。本作では、ガリアーノの人生と栄枯盛衰を追いながら、彼が反ユダヤ発言をするに至った状況や彼が抱えていた問題、さらにはファッション業界の闇に迫っていく。題材とする人間の内面に深く切り込むことに定評があるマクドナルド監督が映画製作の過程やガリアーノについて語ってくれた。 ■ドキュメンタリーのはじまり ──監督自身は「ファッションにはあまり興味がなかった」とのことですが、ジョン・ガリアーノに焦点を当てたドキュメンタリーを作ろうと思ったきっかけを教えてください。 それはジョンが興味をそそる、曖昧な人物だったからです。実はドキュメンタリー映画は、そういう人物を掘り下げるのに最適とも言える媒体なのです。理解しにくい人物の複雑な心に迫り、彼らがどういうことを考え、何故そのように振る舞うのか掘り下げていきます。逆にヒーローとか悪人とか簡単にカテゴライズされてしまう人間を題材にしても、あまり面白い作品になりません。どう捉えていいかわからない人物を題材に映画を作る。その人はヒロイックであると同時にヴィラン的な部分もある、となると映画作家としても俄然そそられるし、刺激的な作品になるわけです。 ■アナ・ウィンターとマックイーンの存在 ──ガリアーノを知る友人が連絡を取り「キャリアと急落についてオープンに語り合う準備がある」と本人から返答をもらったとのことですが、ドキュメンタリー映画製作について彼は最初から乗り気だったということでしょうか? 製作過程について詳しく聞かせてください。 ジョンは最初から「なんでも話すよ」とオープンなわけではありませんでした。コロナ禍だった2020年と2021年にzoomで何度か話をしました。ロックダウン後にパリで実際に会って、話をするというとてもスローなプロセスでした。また、ジョンから「アナと話してほしい」と頼まれて、彼の庇護者的な存在であるアナ・ウィンターとも話しをしました。この映画を作ることがいいか否かについて、彼女なりの意見があったようです。ジョンがいやいやながら引き受けたプロジェクトなのか、そうではないのかということも気になったのでしょう。またジョンのリクエストで、彼の弁護士とも話し合う必要がありました。だから実際に撮影に入るまでは、かなり時間がかかりました。 ジョンがアナと僕を会わせたのは、アナが僕を信頼するかどうかを彼自身が見たかったのだと思います。ジョンはアナをとても信頼しているから。そして、彼女はメディアに対してもクレバーというか、メディアの世界をよく理解している。映画を作るに当たってアナのアドバイスがほしかったのだと思います。二人はそれくらい仲がいいですから。 さらに推測すると、ジョンにはある種のナルシシズムもあると思うんですよ。だから、自分についての映画を誕生させたかったのかもしれません。アレキサンダー・マックイーンについての素晴らしいドキュメンタリー映画映画『マックイーン:モードの反逆児』があるから、ジョンも「だったら僕も」と思ったのかもしれませんしね(笑)。 ■何を感じ取るかは観客次第 ──ガリアーノへのインタビューで特に心に残ったのはどのようなことでしたか? ジョン自身が彼の起こした事件や、その後の物語を理解しようともがき苦しんでいると感じたことです。何が起きたのか自分自身で完全に理解できていない人物は、本当に興味深いドキュメンタリーの題材になり得るのです。カフェ・ペルルで起こした事件に関して、本当に重要なことを覚えていないのがわかる、驚くべき発言もしています。これに対して、観客はさまざまな反応を示すと思います。 この映画を観客に観てもらうのはとても興味深いことで、誰もが本当にそれぞれに異なる観かたをしていました。映画上映後のQ&Aでは意見がぶつかり合ってもいました。「なんでこんな嫌な奴の映画を作ったりしたのですか」と憤る人もいました。「許すべきじゃない。彼は酷い人間だ」という意見です。「この映画を作ることで彼を更正させようとしているように思える」と言った人もいました。その人は、ジョンは更生すべき人物ではない、と考えているようでした。一方、「彼は天才だ」、「本当にすごい」、「なぜ13年前の発言をいまだに気にかけなきゃいけないのか? だってすごく優れたデザイナーじゃないか」という人たちもいました。また依存症と戦っていたり、依存症の人を知っている人は「これは依存症の物語である」というふうに感想を述べていました。この映画は、人によって見えるものが違う作品になっているところが非常に面白いと思います。 ■キャンセルカルチャーが与える影響について ──舌禍事件をきっかけに全てを失ったガリアーノのファッション業界への復帰自体がドラマティックですが、同時に彼の贖罪というテーマも見て取れます。これは撮影前から決めていたのですか? それともガリアーノにインタビューする間に浮かび上がったテーマですか? 贖罪に関しては最初から触れたいと考えていました。僕は、社会的に許されないことをしたときに何が起こるのか、どうやって許しと贖罪を見つけるのか、というドキュメンタリーを作ることに興味があったのです。ジョンの映画を企画した当初のテーマとして、“キャンセルカルチャー”や“許し”、“贖罪”を考えていました。だからジョンの贖罪に触れるのは最初から決めていたことでした。しかし撮影が進むにつれ、徐々にこの映画の重要な部分ではなくなっていったのです。間違いなくこの映画の一部ではありますが。 ──ガリアーノはキャンセルカルチャーの初期の被害者ということですね。 昔は新聞に載るような犯罪もいつの間にか忘れられていました。でもインターネット上には過去の発言や写真・映像が永遠に残っていて、何かをきっかけに掘り起こされる可能性は誰にでもあります。日本にキャンセルカルチャーがあるかどうかわからないけれど、ヨーロッパでは大きなうねりとなっています。僕としては、社会としてキャンセルされた人を許す方法を見つけなければならないと思います。より大きな社会として彼らが復帰できるような、戻ってこられるような方法を見つけなければいけないと。 ■自分という人間を理解して欲しい ──映画製作にあたって、ガリアーノから特別な要望などがあったのでしょうか? まず僕自身がクリエイティブ面で完全にコントロールできなければ、この映画を作るつもりはありませんでした。この件についてはもちろん、ジョンと話し合いをしました。映画を作るときは、関係者全員がそれぞれのアジェンダを持っているものです。出資者もそうだし、監督である僕もそうだし、題材となるジョンも彼なりのアジェンダがある。そのアジェンダが一致すれば、作品としてより良く機能することが多い。映画を作るにあたって、「なぜ、この映画を作りたいのか?」と僕はジョンに尋ねたし、ジョンも僕に同じことを尋ねました。 ジョンがこの映画を作りたかった理由の一つが、人々に自分を理解してほしということでした。彼はこう言ったのです。「必ずしも人々に許してもらえるとは信じていない。でも、この映画を見てもらえることで、自分をよりよく理解してもらえるようになったらと願っている」と。また彼にとっては自分の人生で起きた最悪の事件とそれに続く最悪な時間を、映画製作によって一区切りつかせたいと思っていたのではないでしょうか。 ■依存症とシャーリーズ・セロンの言葉 ──ガリアーノは、監督に全幅の信頼を寄せていたのですね。 ジョンは「本当に好きに作っていいよ」と言ってくれました。ただ唯一リクエスト的な発言としては、「悲しいストーリーのように感じるようなものにはしないでほしい」ということでした。ジョンの苦難の旅路には、ポジティブなエンディングが実際にあるわけです。それは、彼が今なおデザイナーとしてクリエイションを続けていること。彼は90年代のクリエイティビティ、あるいはクリエイションのピークであったのと同じくらいのレベルで今、なおもの作りをしているんですよね。 また「依存症を経験しているものとして、依存しているものを手放しても人は物を作り続けることができる。言い換えれば、クリエイティブな人間であるためにドラッグやアルコールは必要ないということを伝えたいんだ」と言っていました。この2つのメッセージが作品を通して伝わればいいなとジョンは言っていたし、僕自身もこの2つのメッセージはこの物語に欠かせない部分だと思っていたから、「もちろん描くよ」と答えました。 ──依存症関連で印象的だったのは、劇中でのシャーリーズ・セロンの発言です。アルコール依存症だった父親から殺されかけた自身の体験談に言及していて、ガリアーノが起こした反ユダヤ発言がアルコール依存症に起因していたという点で非常に説得力がありました。 とても勇敢な言葉ですよね。シャーリーズの経験については多くの人が知っています。ただ非常にパーソナルなことだし、この映画の題材であるジョンの人生と直接的に繋がっているわけではないと思っていたので、そもそも話題にするつもりもありませんでした。でもアルコール依存症の悲劇について彼女の方から話し出しました。もちろん彼女のとても正直な気持ちだったのだと思います。自分の父親がアルコールの影響で、愛する人たちに対して破壊的で酷いことをしたことの繋がりに気づいて話してくれたわけですから。シャーリーズはジョンがしたことを許しはしないけれど、それがどこから来ているのか理解しているのだと思います。依存症やアルコールは人に影響を及ぼし、人間性をも変えてしまう。自分の子供を手にかけようとすることさえあるのです。彼女は体験しているから理解できるということを伝えてくれました。 ■本作で口を開いたセレブたち ──監督がガリアーノの庇護者と表現したアナ・ウィンターはもちろん、彼の親友であるケイト・モスやナオミ・キャンベルらが登場しています。出演を断ったセレブもいたのですか? ジョンが起こした事件は、一部の人々にとってはいまだにタブーとなっているので、この映画に協力しなかったセレブもいます。この論争に巻き込まれたくないと思ったり、広報担当者が却下したり。映画を作るにあたって、ジョン擁護派とそうでない人々のバランスを取らなければと思いました。だから裁判の原告であるフィリップや事件を受けて彼を解雇したディオールの元会長兼最高経営責任者シドニー・トレダノとLVMHグループ会長ベルナール・アルノーたちもフィーチャーしています。 ──若き日のガリアーノを知る人から、ユダヤ教のラビ、ガリアーノが助けを求めた精神科医など、多くの人の発言がガリアーノの複雑な人格を浮かび上がらせている作品ですね。 実はかなり初期の段階でしたが、この映画はジョンがカメラに向かって話すだけの、いわゆる『コンフェッション・オブ・ジョン・ガリアーノ(ジョン・ガリアーノの告白)』という映画にしようと考えた時期もありました。ジョンがカメラを見つめて、自分の言葉で語る絵面に他人の声をかぶせるような構成で進めるアイデアでした。でも、そうなると映画が公正なものにならない、アンバランスなものになってしまうと気付いたんです。だから他の人々も登場させ、そして彼らの物語にもしっかりと重みを与えなければいけない、と考え直しました。フィリップが話しているところを観客に見てほしいと思いました。彼がどういう表情で、どんなことを話すのか? そういうバランスは僕が特に気をつけた部分です。 ■食い違うガリアーノとフィリップ ──カフェ・ペルルでガリアーノから侮辱され、訴訟沙汰に発展し、その過程でPTSDを起こした男性フィリップは、今でもガリアーノを許せないようでした。謝罪について二人の意見は食い違っているし、ガリアーノ自身は被害者であるフィリップさんの許しを求めていないように感じました。 記憶というものはとてもトリッキーなものであって、ある人の記憶は必ずしも別の人の記憶と同じではありません。特に謝罪に関しては、二人の意見は食い違っています。フランスには奇妙な法律があって、ジャーナリストが裁判記録を読むことができません。だから僕自身は、裁判で実際にどういうことが起きたのかを知ることができませんでした。でも弁護士たちやジョンとも話し、僕は彼が謝罪したと理解しています。ただしフィリップにとっては心からの、誠心誠意のものとは感じられない形の謝罪だったのかもしれません。 ──映画を見たガリアーノはフィリップについてどう思ったのでしょうか? ジョンに映画を見せた時に、フィリップを見てどう思うかを聞きました。それに対してジョンは、「本当にひどいことをしてしまったし、すごく苦しんでいて、非常にかわいそうな方だと思う」と言ったんです。でも、ジョンは彼を助けたいとか、連絡を取って謝罪をしたいとか、そういうことは言いませんでした。僕はフィルムメーカーとして客観性を保たなければならないし、ジョンに謝罪を勧める立場ではありません。それにジョン自身にはちょっと臆病なところもあって、もしも僕が彼にフィリップへの謝罪を勧めても、実行しなかったかもしれませんね。 ──ガリアーノへ長時間のインタビューを行った監督は、彼のことを誰よりもよく知る人になったと思うのですが、映画製作前と完成後でガリアーノに対する考えは変わりましたか? 僕がこの映画に着手したときにジョンに抱いていたイメージは、2011年にネット上に流れたカフェの映像の印象でした。反吐が出るような、本当に最悪なイメージですよね。その時の彼の表情や言葉、話し方は本当に気分が悪くなるようなものでした。酔っぱらいすぎていて、すごく攻撃的で。実は僕自身もあの映像を見た時の自分の反応を分析したいと思っていたのです。なぜこの男を見た時に、あんなにも嫌悪感を感じたのか? だから彼と会った時は、ちょっと驚きました。ジョンはすごくソフトで優しい感じで、ちょっとシャイで、ナイーブな部分もある人物だったのです。もちろん大きなエゴも持っているけど、彼と一緒の時間を過ごせば過ごすほど、彼のことが好ましく思えるようになっていきました。しかも脆いところもある人物だとわかるので、彼を守りたい気持ちも芽生えてくる。だから「そうじゃない。もう一方の物語も語らなければ、語る必要があるんだ」と僕自身に何度か言い聞かせる必要があったんです。 ■デザインすることがガリアーノにとってのすべて ──ガリアーノの贖罪の物語であると同時に、華やかなファッション業界の闇にも焦点を当てています。自身のコレクションとディオールにおいて、プレタポルテ、オートクチュール、クルーズなど、合わせると1年に32ものコレクションを発表するとなるとデザイナーの創造性が削られてしまうだけであり、トップクラスのデザイナーが抱えるプレッシャーの大きさを感じました。マルタン・マルジェラやドリス・ヴァン・ノッテンのように、自身のブランドであったとしても第一線から退くデザイナーもいるのですが、ガリアーノは復帰を選択。彼がカムバックを望んだ最大の理由は何だと思われますか? ジョンがファッション界に帰ってきた理由は、彼の人生にそれしかないからです。デザイナーであること自体が彼なわけです。デザイン以外に彼にできることはないといっても過言ではない。ジョンの関心ごとというのは本当に少ししかなくて、ほぼ全てがデザインです。デザインへ固執していると言ってもいい。おそらく、デザインをすることで自分が満たされるのではないでしょうか。そうすることで自分に価値があると思うことができるのです。ジョンは現在、自分にできるカテゴリーをもう少し増やすことを学んでいる課程にいるようです。ジョンは、今は都会から離れたエリアに家を構え、映画にも登場する本当に素敵なアレクシィというパートナーと暮らしており、彼が大いにジョンを助けています。 ■メディアの功罪と特権 ──コンデナスト社・会長のジョナサン・ニューハウスが劇中でガリアーノを追い詰めた責任の一旦はメディアにもあると語り、ユダヤ・コミュニティのリーダーに彼を紹介するなどの助けの手を差し伸べています。映画の終盤で「ワシントン・ポスト」紙のファッション・エディター、ロビン・ギブハンが「ガリアーノのような白人男性は一般人が享受できない特権を手にしている」と指摘しますが、彼女の意見についてどう思われますか? この論点に関しても両サイドの考えを描きたいと思っていました。でも、ロビンのここでの言葉に僕は心から賛同はできません。それはなぜかというと、ジョン自身がマイノリティとして苦しんできたという事実があるからです。学校でもいじめにあったし、ゲイであったことで悩み、父親からも虐待を受けていた。ジョンは、アウトサイダーであることがどういうことか身をもって知っていたのです。だから、僕はここでのロビンの言葉には同意できません。ジョンの特権は彼女が言う“白人男性の特権”ではないと思っています。彼の特権は、才能。天才であることの特権だと思っています。誰がみても彼はとても才能があり、だから彼は戻ってくることを望まれたのだと思います。ジョン・ガリアーノがいないファッション界なんてすごく退屈でしょう。 ──この映画製作は、ガリアーノにとってある種のセラピーとなったのでしょうか? 確かにジョンにとってのセラピーでした。彼はずっとカフェ・ペルルで起きた事件について話したいと思っていたのです。それに彼の作品について語ってくれる人を必要としていました。ファッションは一過性のものだし、デザイナーたちの頭にあるのは次のショーのことだけ。ジョンも過去のコレクションやショーのことはほぼ覚えていないようでしたが、映画で使用したアーカイブ映像や若き日のジョンが映る古い写真やホームビデオは、彼にとってセラピー的な効果はあったと思います。 映画の最後を飾るのは、メゾン・マルジェラのクリエイティブ・ディレクターとして復帰したジョンが2022年に発表したコレクション「シネマ・インフェルノ」。これは自伝的なショーで、僕たちが話した「贖罪」や「許し」、「暴力」や「父親像」などがテーマになっていました。ファッション界内外で非常に高く評価されたし、実際にとても美しかった。年をかなり重ねた上で自分自身を新たに甦らせることをしています。音楽業界や映画業界で同じようなことを成し遂げた人物が果たして何人いるのか? そういった意味でも、ジョンは本当にすごい人だと思いますね。 『ジョン・ガリアーノ 世界一愚かな天才デザイナー』 9月20日(金)新宿ピカデリー、ヒューマントラストシネマ有楽町ほかロードショー 配給:キノフィルムズ © 2023 KGB Films JG Ltd 取材と文・山縣みどり、編集・遠藤加奈(GQ)