<甲子園交流試合・2020センバツ32校>選手宣誓、時代とともに変化
◇第1日(10日・阪神甲子園球場) 甲子園での選手宣誓は1929(昭和4)年、夏の選手権大会で慶応商工(現慶応)の黒崎数馬主将が行ったのが初とされる。センバツも翌30年の第7回大会で、台湾から初出場した台北一中の三瀬三則主将が初の宣誓。当時の大阪毎日新聞は「われ等はスポーツ精神に則り正々堂々戦はんことを誓ふ」と宣誓したと報じている。 【真夏の熱闘】交流試合の写真特集はこちら その後は紋切り型のフレーズを絶叫する宣誓が長く続いたが、84年夏の選手権で福井商・坪井久晃主将が「若人の夢を炎と燃やし」などの独創的な言葉を用いて好評を博すと、凝った選手宣誓が主流に。センバツでは第59回大会(87年)で京都西(現京都外大西)の上羽功晃主将が英語での宣誓を試み、第70回大会(98年)では同校の三好剛主将が手話付きで行った。 大会直前に東日本大震災が発生し、開催が危ぶまれた2011年の第83回大会では、創志学園(岡山)の野山慎介主将が「生かされている命に感謝し、全身全霊で正々堂々とプレーすることを誓います」と、被災者への思いを込めた選手宣誓を行い、感動を呼んだ。【岸本悠】 ……………………………………………………………………………………………………… ◇選手宣誓全文 宣誓 私たち高校球児は、夢の舞台「甲子園」に立つことを目指し、仲間とともに励ましあいながら心・技・体を鍛えてきました。 新型コロナウイルスとの戦いや、度重なる大規模な豪雨災害からの復旧・復興など、厳しく不安な状況下で生活している方もたくさんおられます。 このような社会不安がある中で、都道府県の独自大会、そしてこの2020年甲子園高校野球交流試合を開催していただけることによって、再び希望を見いだし、諦めずにここまで来ることができました。 一人一人の努力が皆を救い、地域を救い、新しい日本を創ります。「創造・挑戦・感動」。今、私たちにできることは1球をひたむきに追いかける全力プレーです。交流試合の開催や、日々懸命に命、生活を支えてくださっている皆様への感謝の気持ちを持ち、被災された方々をはじめ、多くの皆様に、明日への勇気と活力を与えられるよう、選ばれたチームとしての責任を胸に最後まで戦い抜くことを、ここに誓います。 2020年8月10日 選手代表 大分商野球部主将・川瀬堅斗 花咲徳栄野球部主将・井上朋也