「10歳で月収3000万円」内山信二 転げ落ちて無収入を経験「バイトをしてかみしめた1万円札の思い出」
■気づけば仕事ゼロ「バイトをして気づいた1万円の価値」 ── しかし、その後の1990年に『あっぱれさんま大先生』が終了。子役時代が終わりを迎えます。 内山さん:番組が終わったのは、中学校2年生のときでした。でも、それから1年くらいはそれなりに仕事はありましたね。「あっぱれの内山くん」ということで呼ばれたので。でも、1年後にピタッと仕事がなくなって、16歳になったときには、仕事はほぼゼロでした。唯一オファーがあるとしたら、「あの人はいま」的な企画くらい。でも、そういう番組に出るのはすごく嫌で毎回、断っていました。
高校もいちおう行ったんです。でも3日で辞めちゃいました。近所を歩いていると、「最近テレビ出ないね」「あのころはかわいかった」なんて言われるんです。子役をやっていた人間からすれば、それはかなりきつい言葉で。ぼくも16歳だったから、傷ついたりしますよね。それで外に出るのも嫌になって、1~2か月間は家に引きこもっていた時期がありました。でも、これじゃダメだと思って、バイトを始めています。ガソリンスタンドで働いたり、引っ越し屋さんでも働きました。
── かつての人気子役がバイトをするということに抵抗はなかったですか? 内山さん:するしかなかったですから。貯金があると思ったら、まったくなかったので。逆に借金まであったんです。それで電気・ガス・水道が止められて…。でも、お腹が空くから、生米をそのままかじっていました。借金はお父さんがこしらえたものでした。ぼくの計算上では1億円近く残ってるはずだったんですけど。たぶん、ぜいたくをしたんです。これはお父さんだけではなくて、家族全員です。
たとえば、家族旅行でハワイに行くときもファーストクラスに乗ったり、いいホテルに泊まったり。もうそれが当たり前になっていた。でも、お金がなくなって、バイトをして、お金のありがたさに気づいて。バイトを朝から晩までしても、いろいろ引かれて1万円いかないんです。1万円を稼ぐのがこんなに大変なんだ、と初めて知りました。 引っ越し屋のバイトをしていたとき、偶然知り合いのプロデューサーの引っ越し依頼を受け、1万円チップをもらったこともありました。向こうも驚いてましたね。「まさかあの子がここまで落ちるとは」って。かわいそうだと思ったから、「これでなにか食べな」ってくれたと思うんですけど。そのときの1万円は本当に嬉しかった。コンビニでカップヌードルとおにぎりを買っても、まだ9000円残っている。それはバイトの日当以上です。本当に落差がありすぎですよね。小学生のとき、マネージャーに「カウンターの寿司屋行ったことあんのか?」なんて言って、2人で6万円を使っていた子がですよ。何十円まで計算して、「これは高いからやめておこう」と、なるわけだから。