イルカ32年ぶり紅白出場 ソロデビュー&なごり雪誕生「50-50」亡き夫神部和夫氏の存在
シンガー・ソングライターのイルカ(74)が、第75回NHK紅白歌合戦に、32年ぶり(2回目)に出場する。今年は代表曲「なごり雪」の誕生50年、ソロデビュー50年で「フィフティー・フィフティー(50-50)」の年に当たる。当初、ソロ歌手になることも「なごり雪」を歌うことも断ったイルカが国民的シンガーになり、「なごり雪」が不朽の名作となった背景には、夫でプロデューサーの故神部和夫氏の存在があった。【笹森文彦】 【写真】さだまさしからバラ50本を贈られるイルカ ★夫免許証ポケット忍ばせ 1992年(平4)の第43回NHK紅白歌合戦。初出場のイルカ(当時42)は、ギターを抱えて「なごり雪」を歌った。白と黒の衣装の上着ポケットに神部氏(当時45)の免許証を忍ばせていた。同氏は、運動機能障害などを起こす進行性疾患パーキンソン病だった。 「もう、表に出られない状況でした。紅白が決まったことを、すごく喜んでくれた。現場まで一緒に行けないから、僕の免許証をポケットに入れて歌って、と言われました」 神部氏は15年後の07年3月21日、59歳で死去した。86年に発病してから、20年以上の闘病だった。 紅白出場はそれ以来、32年ぶり2回目となる。 「今回もお空の上で、すごく喜んでくれていると思います」 今年は、かぐや姫が「なごり雪」をアルバム「三階建の詩」(74年3月発売)の収録曲として発表してから50年。イルカが「あの頃のぼくは」(74年10月発売)でソロデビューしてからも50年だ。 「フィフティー・フィフティーは(記事の)見出しになるな(笑い)」 ドジャース大谷翔平がメジャーリーグ史上初の50本塁打、50盗塁を達成し、話題となった「50-50」を引き合いに出して喜んだ。 イルカの誕生と「なごり雪」のヒットは、神部氏なくしては語れない。イルカは当初、ソロ歌手になることも、「なごり雪」を歌うことも拒否していた。 ★「ソロ何度も断りました」 父はプロのテナーサックス奏者で、幼少からジャズや洋楽に親しんだ。女子美大でフォークソング同好会に入った。早大の3人組フォークソンググループ、シュリークスのリーダーが時折、教えに来た。3歳年上の夫となる神部氏だった。すでにレコードも出す人気グループだった。 「卒業したら一緒に(音楽を)やろう、と言われた。それがプロポーズでした。私はただ好きな人と一緒に音楽がやれたら楽しいと思っていた。でも、彼は私をソロデビューさせると決めていたんです」 卒業した71年にシュリークスのメンバーとなり、72年に21歳で結婚した。のちに夫婦2人組となった。ある日「僕がプロデューサーになって、君がソロになるんだよ」と言われた。 「音楽は好きでしたが、芸能界に対するあこがれはみじんもなかった。シュリークスでは夫がリードボーカルで、才能ある彼に歌うのを絶対に辞めてほしくなかった。周りも私じゃ無理と言っていた。だから、ソロではやらないと何度も断りました」 神部氏はあきらめず、説得した。イルカの才能を見抜き「開花させたい」と決意していた。 「1人の男が自分の人生を賭けようとしている。そんなありがたいことはないと思い、『私をあげます』と言ったんです」 74年にソロデビューした。イルカの誕生だった。 ★伊勢正三の言葉で吹っ切れ 翌75年、神部氏はソロ3枚目のシングルに「なごり雪」を決めた。同曲はかぐや姫の人気曲だった。当時はまだカバーという概念が定着していなかった。 「絶対に歌いたくなかった。かぐや姫ファンのところに、土足で入っていくようなもの。あんなふうに歌ってほしくない、という人もいると思った」 イルカはシンガー・ソングライター。子どものころから、動物愛護や環境問題に関心を持ち、シュリークスでもそうしたアルバム曲をつくった。 「私の歌をみんな結構分かりにくいって言ってたんです。夫は『イルカがメジャーになるためには、幅広い人たちに分かってもらえるシングル盤が必要』と考えたんです」 神部氏はかぐや姫や事務所と交渉して、「なごり雪」をその1曲に選んだ。イルカはレコーディング当日まで歌うのを渋ったが、作詞作曲したかぐや姫の伊勢正三(73)に「好きな歌だったら、歌ってくれたほうがうれしいよ」と言われ吹っ切れた。イルカの「なごり雪」は大ヒットした。 90年代に入ると神部氏の病状が悪化。知人の紹介で北海道旭川市の専門病院に入院した。イルカは近くに部屋を借り約7年間、行き来して看病した。危篤状態が続いた最期の時。神部氏は3回、目をギュギュとつぶった。「ありがとう」のメッセージと思った。 「夫は根性のある人だから、絶対に意思表示をしてやるって決めていたと思う。体は動かず、言葉も発せないから、唯一動く目で…。私はそう勝手に理解しているんです」 神部氏は07年3月末に死去した。「なごり雪」が舞う季節の旅立ちだった。 ★「あいのたね まこう!」 イルカは今、「あいのたね まこう!」というメッセージを発信している。バッジも作った。小さい子にも読めるように、全部平仮名で書いている。 「災害、戦争、環境汚染、犯罪…。大人が作ったひどいものだけを、子どもたちに残していくわけにはいかない。生きている間に、それらを包む愛の種を、1粒でもいいからまきたい。この思いが、広がってくれたらうれしい」 元気だったころの神部氏が「子どもにも分かる、子どもにも歌える命の大切さの歌を作って」と、イルカに熱望した作品がある。「まあるいいのち」だ。 「みんな同じ生きているから 一人にひとつずつ 大切な命」 9日後の紅白で、神部氏の遺志かもしれないそのバッジが、かつての免許証のように、ポケットの中にあるかもしれない。 ▼シンガー・ソングライターでラジオパーソナリティーの長男神部冬馬(45) 母の音楽は昔から変わらず、若い子どもたちでも知っている。(紅白出場は)そういったところが評価されたのだとしたら、素晴らしいことと思います。両親は家に仕事を持ち込まなかったから、プロデューサーとアーティストという関係性は僕にも分からない部分があります。でも相当なる信頼関係があったと思います。「あいのたね まこう」は、1人1人の小さなアクションや意識で、明日が少し前向きになる、という考え方で、尊敬しています。自分も見習いたいです。 ◆イルカ 本名・神部としえ。1950年(昭25)12月3日、東京都生まれ。女子美大卒。他のヒット曲は「雨の物語」「海岸通」など多数。80年に女性シンガー・ソングライターとして初の日本武道館公演を行う。絵本作家、エッセイスト、女子美大芸術学部客員教授、IUCN(国際自然保護連合)の親善大使など、多彩に活躍。今年9月に「ESSAY」(86年)など過去のアルバム3枚を収録した「イルカ アーカイブ Vol.9」を発表。 ◆芸名イルカの由来 女子美大のフォークソング同好会の先輩らが、ギターケースを持ち一本道を歩く姿を最後尾から見て「(上下する)ギターケースがイルカの群れみたい」と言って、みんなを笑わせた。そこからイルカが愛称となり、そのまま芸名となった。