推し活をやりすぎる人が「無能」に陥るリスク 人々が同調して美しいのは、演奏とダンスだけ
哲学というと難解な専門書を読み解く必要がありそうで、つい身構えてしまう人もいるでしょう。しかし、ベルリン自由大学で哲学を学んだ作家の白取春彦さんは、哲学の個々のユニークな考え方を知ることによって、自分の考え方や価値観にこれまで気づかなかった新しい視点と発見を与えてくれる、といいます。 白取さんの新刊『ひと口かじっただけでも 哲学は人生のクスリになる』から、自分の成長を止めてしまう偶像崇拝の危うさについて、一部引用・再編集してご紹介します。
■日本人が孤独を覚える原因「疎外」とは 偶像崇拝の度が増すと、人は危険な状態に向かうことになる。たとえば、自分を無能だと実感し、ついには自分という存在の死にいたる。 なぜ、偶像崇拝すると、自分が無能や死に近づいていくのか。それは、偶像崇拝によって自己を疎外(そがい)することになるからだ。 この「疎外」という言い方はふだんの日本語としてはあまりなじんではいないだろう。疎外とは要するにのけものにすることだ。疎外はいつでもどこでも起こりえる。まったくどこからも疎外されていない人などいないかもしれない。
自分の家族からのけものにされるのは疎外である。会社で閑職(かんしょく)に追いやられるのも疎外である。その原因は自分の言動かもしれないし、家族や会社の変化かもしれない。疎外はしばしば、自分が属していると思っていた場所からなされる。 現代の日本人は孤独を覚えている人が多いと言われているようだが、その原因の中心には疎外があるだろう。特に日本は同調社会だとされる。その同調がうまくできないと、やがて疎外されることになる。同調社会の成員は、同調していることでのみ連帯でき、自分の不安から顔をそむけることができるからだ。
同調が生む悪の大きなものの1つは選挙のときの組織票であろう。日本では宗教信者を動員して投票を強引に左右させる。これがいかに政治を歪ませているか、もう明らかであろう。人々が同調して美しいものを生み出せるのは、演奏とダンスだけなのだ。 さて、偶像崇拝によって自分が無能になることの理由について、ドイツの哲学者エーリヒ・ゼーリヒマン・フロムは『正気の社会』でこう述べている。 「偶像崇拝では、人間は、自分のうちにある一部の性質を投射したものに頭をさげ、それに服従している。人間は、自分自身が生き生きした愛情と、理性の行為のひろがる中心だとは感じていない」(加藤正明・佐瀬隆夫訳)