吉村順三が見たアメリカの建築。師・アントニン・レーモンドとの交流からひもとく。
吉村の建築には若き日の彼がアメリカで目にしたものや、レーモンドからの影響が源流となって流れている。たとえば画家の猪熊弦一郎の自邸〈猪熊邸〉ではアーリーアメリカンの住宅に倣って天井を低めにした。一方で通風など、日本建築のよさもとりいれた家になっている。ニューヨークに長く暮らした猪熊はこの家を「スケールが本当に親しみやすい」と気に入っていたという。
また吉村がアメリカで手がけた建物には日本建築のエッセンスが随所に感じられる。〈ジャパン・ソサエティー〉にはアルミのすだれや鉄製の犬矢来があしらわれた。クライアントから「日本建築のよさを活かしてほしい」と依頼された〈ポカンティコヒルの家〉は襖や障子がすべて躯体に納まるようになっていて、大きな窓から内外が緩やかにつながる。
1954年には〈ニューヨーク近代美術館〉の中庭に〈松風荘〉を建設し、日本の伝統建築とモダニズム建築との類似性を示した。〈松風荘〉はキュレーターのアーサー・ドレクスラーが企画した「House in the Garden」という屋外の展示で建てられたもの。現在は〈フェアマウント・パーク〉に移築されている。
吉村は1941年に帰国する際、日本までの船でジュリアード音楽院に留学していたバイオリニスト、大村多喜子と結婚した。後に生まれた長女、隆子もチェリストとして活躍している。彼が妻のために設計した〈ソルフェージスクール〉は多喜子がレーモンドの妻、ノエミを通じて学んだマリー・シャセバンの音楽教育メソッドによる学校だ。字の書けない子どもでも音楽理論を学ぶことができるという。吉村はソルフェージで使う音符セットもデザインしている。
〈八ヶ岳高原音楽堂〉では残響時間を調整するためのパネルを組み込んだ木製スクリーンを引き出すことで、音響特性を変化させられるようになっている。また、このホールのためにデザインした折りたたみ式の椅子で、ステージと客席を自由にレイアウトできるようにしている。吉村はこのほかにもピアニストの住宅園田高弘邸(現・伊藤邸)や、音楽ホールを併設した高層オフィスビル〈青山タワービル/タワーホール〉を手がけた。