最後の国鉄特急形電車を追う 伯備線で381系がラストラン
山陰線を離れてからは、伯備線の有名撮影地が点在する鳥取県日野町に宿泊した。同町は撮り鉄の悪行を伝えるニュースでも有名になった。大混雑を覚悟しながら、「いつかはここで撮りたい」と思っていた場所を訪れた。そこそこの数の鉄道ファンはいたが、筆者が訪れた際はありがたいことに総じて平和だった。 トンネルを抜けた列車がカーブを曲がりながら鉄橋を渡る写真が撮れる通称「ネウクロ」。筆者が最も行きたかった撮影地だ。381系やくもの定期列車最終日の前日である14日に訪れると、やはり人気スポットとあって、既に5~6人が集まっていた。テレビ局も取材に来た。 インタビューを受けた若者は「午前4時半に来たら既に三脚がありました」と答えていた。その気合の入れように驚いていた記者さんに逆取材したら、「カメラマンと一緒に、松江を午前5時半に出発しました」とのこと。思わず「めっちゃ早いじゃないですか。お疲れさまです」と言ってしまった。町役場、県庁、警察の巡回もあったが、厳戒態勢という空気はなく、ほのぼのとした雰囲気だった。
憧れのスポットで、快適な撮影を昼過ぎまで楽しんだ。「1時間後のやくもまで撮りたい」という欲も出てきたが、後ろ髪を引かれる思いで撤収した。翌日の勤務に向けて、何としても当日中に帰京する必要があったからだ。ネウクロで撮りたかった「1時間後のやくも」を根雨駅で撮影し、岡山方面行きの普通電車に乗った。 その普通電車が新郷駅を出て足立駅に着くと間もなく、同区間に落石があったとして運転がストップした。15分近く止まっていただろうか、「これはまずいな」と思ったら電車が動き出し、予定していた新幹線に乗り継ぐことができた。 後で山陽放送のウェブニュースを見ると、その普通電車に乗って巡回していた社員が、線路近くに石を見つけて運転士に伝えたという。社員が現地に向かって石を特定したところ、最大辺のサイズは約50センチとかなり大きかった。 伯備線は一部区間で約2時間にわたって運転を見合わせ、やくものダイヤにも影響があった。もしも欲望に負けてネウクロに残っていたら、その日のうちに東京までたどり着けただろうか。何ごとも腹八分目である。
☆共同通信・寺尾敦史 381系は、カーブで速度を落とさず走れるように車体を傾ける「自然振り子式」を国内で初めて実用化した車両でした。1973年に長野―名古屋間の特急「しなの」に導入、やくもには伯備線が電化された82年に投入されました。