30年続けた『とくダネ!』笠井信輔(60)「若いときは睡眠削って、ガムシャラに」でつかんだもの、失ったもの
『情報プレゼンター とくダネ!』は、30年以上続いた朝の情報・ワイドショー番組として人気を獲得。プレゼンターを務めた笠井信輔さんは同番組を支え、まさに番組に捧げた人生でした。そこで得た「ガムシャラに働く」には、光と影があったといいます。(全5回中の3回) 【画像】『とくダネ!』あの名コンビの粋な笑顔を再びみたい!ほか(全20枚)
■「干されて、叱られた」新人時代からの挽回劇 ── フジテレビ入社後はどんな生活が始まったのでしょうか? 笠井さん:入社後はスポーツアナウンサーとして、競馬やスポーツの班に配属される予定だったらしいんです。私自身はそれをまったく知りませんでした。
私たち新人アナは入社1週間で生放送番組に出演し、自己紹介と将来の夢や目標を語る機会を与えられました。そのときに私は「ワイドショーの司会者になって、ニュースキャスターになりたい」と話したんです。それがアナウンス室で大問題になりました。 ── 目標を語ったのが、なぜ大問題になったのですか? 笠井さん:入社前は、当時世間を騒がせていた「ロス疑惑」に関する情報を得ることが大好きで、ワイドショーばかり見ていました。ところが、OB訪問をしたら「ワイドショーが好きという理由だと、軽く見られて入社試験に受からない。嘘でもいいから『スポーツ報道に行きたい』と言いなさい」とアドバイスされて。就職活動の面接では、「スポーツ報道」希望で通していたんです。
それなのに、突然生放送で「ワイドショーに出たい」と言い出したから、「話が違う」となったんですね。たまたま同期の塩原アナ(現・フリーアナウンサーの塩原恒夫さん)の配属がまだ決まっていなかったから、彼がスポーツアナウンサーとなり、私はどこにも配属されませんでした。入社してしばらくは、上司から怒られてばかりでした。 ── それでは、社内での居心地が悪かったのではないでしょうか? 笠井さん:毎日、根性を叩き直されるんじゃないかというくらい叱られ、居場所がなかったです。