アクションの稽古で筋肉痛に……でもその痛みがたまらない!?「nicola」モデルから女優へと転身を遂げた深尾あむの日常
話題のCM、人気ドラマ、大ヒット映画、そしてSNSで大注目の美女たちが、これまであまり語ってこなかった「あの話」をロングインタビューでぶっちゃける! 【写真】本編未掲載カットあり! 深尾あむの、美しすぎる…! 今回は湊かなえの小説が原作の舞台『ブロードキャスト』で初めてステージデビューを飾った女優・深尾あむが登場。 モデルから女優の道を歩み始めたばかりの、彼女が見据える未来とは……?
カナダからの帰国子女でインターナショナルスクール出身!?
2005年生まれ、滋賀出身の深尾あむ。小さい頃からオシャレが好きな子どもだったという。 「自分の足には大きくてブカブカの母のヒールを履いて遊んでいたり、勝手にファッションショーなどをしていたと聞いたことがあります。母と買い物に行っても、大人の服をずっと見ていたりなど、ちょっと“おませさん”だったかもしれないです。あと、歌ったり踊ったりするのも好きだったみたいです」 小学生になる段階で、父親の仕事の都合で、一家でカナダに移住。カナダの南西部、アメリカ国境近くのラングリーという都市に小学校1年生から4年生まで住んでいたそう。 「ラングリーはバンクーバーの近くで、冬もそこまで寒くないし、夏は涼しいような過ごしやすい場所。自然に囲まれた素敵なところです。ブリティッシュコロンビア州なので、言語は基本的に英語です。第二外国語でフランス語はみんな勉強するのですが、今となってはフランス語は1から10まで数えられるくらいしか覚えていないです」 深尾が通っていた学校は、子どもの自主自立を重んじるモンテッソーリ教育のスクール。現地の子どもたちが通う学校だったので、アジア系は深尾ひとりだけだった。当然、英語すらしゃべれなかったため、当初はものすごく大変で――。 「入学して1週間後に、親元を離れて山奥に泊まるキャンプ・イン・トリップという行事があったんです。言葉もわからない、友達もいない状況で、夜中に母が恋しくなりました。クロエという女の子が『家族の写真を見たら、元気が出るよ』と身振り手振りで教えてくれて、持参していたデジカメで家族の写真を見たら、もっと涙が出てきて、悲しくなって泣いていたという思い出があります。その後、クロエとは親友になって楽しい経験をいっぱいできたので懐かしい思い出です」 新しい環境が外国で、しかも言葉がわからないため、当初はかなり苦労したという。それでも、カナダにいた小学校4年生までには、英語の読み書きしゃべりはマスターした。 「帰国してから中学校3年生までインターナショナルスクールに通っていたので、英語は身についたと思います。カナダにいる頃は、いろいろな習い事、バレエやフィギュアスケート、テニス、チアリーディングなどをやっていました。そのなかで、『私は人前に立つこと、表現することがすごい好きなんだ』と気が付き、日本に帰国してからもなにかできないかなと考えました。そこで、『役者になりたい』と思い立ち、中学1年生の時に中高生女子向けのファッション誌『nicola(ニコラ)』(新潮社)の専属モデルオーディションを受けて、芸能界に入りました。オーディションを受けてみようと思ったのは、『nicola』出身のモデルさんたちが、卒業してから役者になられる方が多かったのがきっかけです」