武士の身分はお金で買うことができた?日本史の常識「士農工商」制度は実は存在しなかった
2000年代に入ると、教科書の「士農工商があった」という表記に変化が……
しかし2002年になると、教科書の記述の最後が「こうした身分制度を士農工商とよぶこともある」(『詳説日本史B』)となっていいて、「よんでいる」(1997年)から「よぶこともある」(2002年)へと、5年後に断言するのをやめている。 「別の教科書(『日本史B』実教出版 2018年)では『武士・百姓・職人・商人は士農工商(四民)といわれ、江戸時代では社会を構成する中心的な身分と考えられていました。 士は苗字・帯刀や切捨御免などの特権をもち、農工商に優越する身分であったが、農工商の順は必ずしも身分序列ではなかった。しかし、儒者などによってしだいに身分序列とみなす傾向が強まっていった』とあります。 さらに注書きに『農工商の各身分は、厳密に固定されていたわけではなく、百姓が都市に出て商人になるように、相互間の身分変更は、ある程度可能であった。また、百姓や商人が武士にとりたてられた例や、御家人株の購入により商人が御家人の養子となった例のように、被支配者身分の者が武士になることも、少数ながらあった』と補足されています」 そして、東京書籍の教科書(『新選日本史B』2018年)では「江戸時代の社会では、武士と百姓、町人(商人と職人)が、それぞれの職能によって区分された身分を形づくった」とあるだけで、「士農工商」という言葉自体が教科書から消えてしまっている。
そもそも「士農工商」という概念は古代中国のものだった
「じつは士農工商という概念は古代中国のもので、四つの身分というより“あらゆる人々”を意味しています。それを江戸時代に儒学者が、強引に日本の社会にあてはめ、それが誤った形で明治以降に伝わっていったのです。 正確には、江戸時代の身分には、支配者の武士と被支配者の百姓・町人という二つがあるだけで、百姓と町人については、村に住むのが百姓、町(主に城下町)に住むのが町人(職人と商人)というように居住区や職業別にすぎないのです」 しかも驚くべきことに、身分間での移動もできたのだとか。 「たとえば勝海舟の曽祖父は越後の農民だったが、お金持ちになって武士の権利を買っています。作家の曲亭(滝沢)馬琴も、金で孫のために武士の株を購入しましたし、正確な地図をつくった伊能忠敬や新選組の近藤勇は、その功績で幕臣(武士)に取り立てられています。 いっぽう三菱をつくった岩崎弥太郎の家は武士でしたが、その権利を売って農村で農民身分(土佐では地下(じげ)浪人と呼んだ)になっていました。しかし、弥太郎はのちに武士の権利を買い戻しています。 江戸や京都の大店(豪商)は、先祖の地に住む農民の子を多く店員として雇用し、その中から立派な商人になるものも少なくありませんでした」 身分間の移動ができたことも驚きだが、私たちがこれまで当然だと思っていた「士農工商」という概念が間違っていたことが一番の衝撃かもしれない! 文/河合 敦 構成/日刊SPA!編集部 【河合 敦】 歴史作家、多摩大学客員教授、早稲田大学非常勤講師。 1965 年、東京都生まれ。青山学院大学文学部史学科卒業。早稲田大学大学院博士課程単位取得満期退学。歴史書籍の執筆、監修のほか、講演やテレビ出演も精力的にこなす。『教科書に載せたい日本史、載らない日本史』『日本史の裏側』『殿様は「明治」をどう生きたのか』シリーズ(小社刊)、『歴史の真相が見えてくる 旅する日本史』(青春新書)、『絵と写真でわかる へぇ~ ! びっくり! 日本史探検』(祥伝社黄金文庫)など著書多数。初の小説『窮鼠の一矢』(新泉社)を2017 年に上梓。
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