ホアキン・フェニックス&レディー・ガガの最強タッグが“二人狂い”で歌い踊る、ミュージカル仕立ての衝撃の続編!『ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ』
放火魔として逮捕されたと自称するリーはジョーカーの熱烈な崇拝者だ。理不尽な社会への反逆者、不満だらけの民衆の代弁者として祭り上げられたジョーカー。彼が起こした事件の衝撃に魅せられたリーは、ジョーカーをまるでロックスターのように偶像視している。アーサー/ジョーカーをモデルにしたテレビムービーも繰り返して観たらしい。彼がリーのいる監房の部屋に入ってくると、彼女の目は輝く。ジョーカーのあの事件を目にして「生まれて初めて孤独を感じなかった」と熱っぽく告白する。 リーの姿は、例えば日本映画『接吻』(2007年/監督:万田邦敏)の主人公・京子(小池栄子)──テレビで観た無差別殺人の凶悪犯に自分と同じ孤独を見いだし、恋心をエスカレートさせていく女性と印象が重なったりもする。世間的には凶悪な犯罪者であっても、自らのアイデンティティを仮託できる相手を自分の「推し」として神聖化する。ジョーカーのとりわけ濃厚な“My Shadow”であるリーは、ファンダムと呼ばれる熱狂的なファン文化の象徴ともいえるだろう。宗教的といえるほど過剰にスターやアイドルにのめり込み、その対象と自分の理想的な物語の中を生きている(あるいは生きようとする)人物がリーだ。 ただしそのぶん、リーは自分が信じるジョーカー以外の姿を決して認めない。ゆえに彼女は等身大のアーサーにはまるで興味がない。「本当のあなたが見たい」と言って、リーは素顔のアーサーにピエロのメイクをする。リーにとって「本当のあなた」はアーサーではなくジョーカーなのだ。 これまでまともな恋愛経験のないアーサーにとって、自分を必要としてくれるリーは初めての恋人だ。『ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ』の物語は、はみ出し者の異端の男女のラブロマンスへと展開する。タイトルの「フォリ・ア・ドゥ(Folie à deux)」は、フランス語で「二人狂い」という意味。ひとりの妄想がもうひとりに感染し、二人あるいは複数人で妄想を共有する感応精神病を指す。これはまさしくアーサー/ジョーカーとリーの関係性を表している。彼らは互いに手をとりながら、むしろリーが積極的にリードする形で、当人たちにとっては幸福の絶頂にある「二人狂い」を暴走させていくのだ。しかしリーはアーサーではなく、ジョーカーと触れ合うために誘惑を重ねる。つまりリーは、アーサーの中からジョーカーを呼び起こしていく触媒として働きかけるのだ。 この「二人狂い」の高揚を本作はミュージカル形式で演出していく。例えばアーカム州立病院の催し物で、MGMミュージカル映画の名作『バンド・ワゴン』(1953年/監督:ヴィンセント・ミネリ)が上映される。その有名なミュージカル・アンセムである楽曲「ザッツ・エンタテインメント」を、アーサー/ジョーカーとリーは共に歌い踊る。また本作のメインステージは法廷。テレビで生中継され、民衆の多大な注目を集めるアーサーの裁判はまさにショータイムだ。関係者やマスコミを尻目に、ジョーカーとリーの二人が共にシング&ダンスするとき、この世界には彼らしかいないような甘いロマンティシズムが映画のスクリーンを包み込む。