被災地支援へ向かう海保機はなぜ「いてはいけない滑走路」にいたのか?
1月2日に羽田空港でJAL機と衝突し、爆発・炎上した海上保安庁の航空機は、被災地への支援物資を積んで新潟へ飛び立つ直前だった。悲劇はなぜ起きたのか。「ナンバー1」という管制指示と、滑走路で海保機が停止していた「40秒」の意味を専門家が読み解く。 【写真】爆発・炎上した海保機ほか * * * ■「ナンバー1」という指示に込められた意味 能登半島地震が発生した翌日の1月2日午後5時47分、東京・羽田空港のC滑走路上で、日本航空(JAL)の旅客機エアバスA350が着陸する際、海上保安庁の双発プロペラ機ボンバルディアDHC-8-Q300と衝突した。 炎上したJAL機からは乗客・乗員379人が全員避難できたが、海保機は爆発・炎上し、乗員5人が死亡。唯一生き残った機長も重傷を負った。JAL機が着陸する滑走路に、なんらかの原因で、被災地へ支援物資を運ぶ任務に就いていた海保機がいてしまったために起きた悲劇だ。 まず知っておくべきは、混み合う正月の羽田空港で海保機が置かれていた状況の特殊性だ。かつて航空測量士・空撮カメラマンとして29ヵ所の飛行場から航空機16機種、合計約3000時間の飛行を経験したフォトジャーナリストの柿谷哲也(かきたに・てつや)氏が言う。 「まだ中部国際空港が開港していなかった当時、私が拠点のひとつにしていた愛知・名古屋空港では、国際線・国内線の旅客機がひっきりなしに離着陸する合間を縫って、その他の小型機が離陸するという環境でした。 今回の海保機もそうでしたが、こうした場合は管制官がインターセクション・ディパーチャー(滑走路の途中から入って離陸すること)を許可することがあります。 また、離陸する大型旅客機の後方乱流で小さな機体があおられてしまうこともあるため、管制は大型旅客機の離陸前に小型機を横入りさせて優先的に離陸を指示することもあります」 これまでに公開された情報によれば、海保機は管制から「ナンバー1」(その滑走路で離陸順が1番目)という指示を与えられていた。そして、誘導路から滑走路に入る手前で待機をせず、滑走路に入ってから事故までの40秒間、停止していた。 元航空自衛隊302飛行隊隊長の杉山政樹氏(元空将補)は、軍民共用の沖縄・那覇空港からF-4戦闘機で何度もスクランブル(外国機などに対応するための緊急発進)をした経験があり、その際も管制から「ナンバー1」の指示を受けていたという。 「今回のようなケースでは、ナンバー1という言葉は単に離陸順を示しているだけではありません。通常のシークエンス(順序)に従って離着陸を続ける民間機の合間を縫って、空自機や海保機の任務をどう実現させるか、管制官はさまざまな判断を迫られる。 その中で、ナンバー1という言葉には、『大変でしょうけど、任務を頑張ってください。できる限り融通を利かせます』という管制官からの配慮や思いやりが込められているわけです。 今回のケースでも管制官は、『こんばんは。ナンバー1。C5(滑走路に入る手前の誘導路のこと)上の停止位置まで地上走行してください』 という言い方でナンバー1を与えています。これに対して海保機の側も、 『C5に向かいます。ナンバー1。ありがとう』 と、気を使って感謝の言葉を返しています」