かわら版史上、最大ヒットの黒船来航 憧れか恐怖か?江戸の庶民は大騒ぎ
新しい時代の幕開けを象徴する「黒船来航」の画は、歴史の教科書でもおなじみで強烈な印象を与えています。神奈川県の浦賀に到着したペリー艦隊のニュースは、少し離れたところにいる江戸の庶民にはどう伝えられたのでしょうか? そこでようやく「かわら版」が登場してきます。歴史的大変革が予感される一大事をかわら版はどのように伝えたのでしょうか? 「これから日本はどうなるのか?」敵か味方かまだわからない黒くて巨大なバケモノの来航を知って江戸の庶民たちはどのような反応を示したのでしょうか? 迫力ある黒船の描かれたかわら版を見ながら、大阪学院大学の准教授、森田健司さんが解説していきます。
かわら版に絶好の題材=黒船来航
本連載も、今回から第2部である。ここからは、文字通り「江戸の大スクープ」を、かわら版を用いて紹介していきたいと思う。記念すべき第1回目のテーマは、江戸後期最大の事件、「黒船来航」だ。 「幕末の始まり」を告げたとされるペリー艦隊の「襲来」を、江戸の庶民は一体どのように受け止めたのだろうか。 1853(嘉永6)年6月3日、浦賀沖に4つの黒い影が現われる。日頃から外国船を飽きるほど目にしていた見張りの役人も、今回ばかりは驚いたらしい。それは、4つの影が余りにも大きかったからである。このとき、東インド艦隊司令長官マシュー・C・ペリー(1794~1858年)が率いてきた軍艦は、ミシシッピ号(1839年建造)、サスケハナ号(1850年建造)、プリマス号(1843年建造)、サラトガ号(1842年建造)の4隻で、前の2隻は最新鋭の蒸気船だった。 まさに大事件である。かわら版屋は、興奮を抑えられなかったことだろう。これほどかわら版の題材に相応しい、派手な出来事は滅多にないからである。かくしてこの年、かわら版界のベストセラーは、文句なしに黒船関連のものとなった。冒頭に掲げたのも、黒船来航を報じる一枚である。 このかわら版の主役は、もうもうと煙を上げる、巨躯の蒸気船である。周りを取り囲んでいるのは、日本側の小型帆船だ。『ペリー提督日本遠征記』によると、ペリー艦隊が浦賀沖に到着するや否や、日本側の無数の帆船に取り囲まれたということなので、これは事実をしっかり記録したものと言える。 右上には、「長サ 三十八間、巾 十五間、帆柱 三本、石火矢 六挺、大筒 十八挺、煙出長 一丈八尺、水車丸サ 四間半、人数 三百六十人乗」と、黒船の詳細なデータが記されている。ここから考えると、この黒船はミシシッピ号である可能性が高そうだ。かわら版屋の情報収集力に驚かされる。 絵自体もなかなか正確で、掲げられていた星条旗までしっかり描かれている。ちなみに、星の数が一つなのはご愛嬌で、実際には、当時の星条旗の星は31個だった。