浅田真央が笑顔と涙の引退会見。「結婚予定は?ないです」
フィギュアスケートのバンクーバー五輪銀メダリストの浅田真央(26、中京大)が12日、都内のホテルで引退会見を行った。海外のメディアも含めて350人を超すマスコミが集まった中、浅田は「晴れやかな気持ちで選んだ」という真っ白なブラウスに真っ白なジャケットで登場。 【動画】浅田真央さん引退会見 最後のあいさつで2度背を向けて涙 まず冒頭で立ったまま「選手生活を終える決断をしました。これまで、たくさんの山がありました。それを乗り越えられたのは、支えてくれた方々やファンの方々のおかげです。今日は、感謝の気持ちをお伝えできればと、このような場を設けさせてもらいました」と笑顔で挨拶をした。 最初に引退理由について「復帰してからいい形でスタートができました。練習をして試合に出るにつれて、今の時代は(レベルが)凄いので、ついていけるのかな、と思うようになり、体が復帰前よりもつらいことが多くなりました。1シーズン目は乗り切れました。2シーズン目は、なんとか、なんとか、がんばろうという思いだけでがんばりましたが、最後の全日本で、もういいんじゃないかなと思いました」と説明した。 浅田は2シーズン前から3度目の出場となる平昌五輪に照準を絞り現役復帰したが、昨年は左膝の故障からトリプルアクセルを封印するなど思うように演技ができずスケート・アメリカで6位、フランス杯で9位と惨敗。12月の全日本選手権では、トリプルアクセルを解禁したが12位に終わり世界選手権の出場権を逃していた。得点と順位が出た瞬間に「もう終わったんだな、もういいんじゃないかな」と思ったという。。 「全日本には12歳から出場しているんですが、一番残念な結果に終わってしまって、この結果も、ひとつ大きな決断(引退)に至った大きな出来事だったと思っています」 それでも正式発表に至るまで長い時間を必要とした。自らの信念との葛藤があった。 「復帰してから平昌五輪に出るという目標を掲げて言ってしまった。その目標をやりとげなければならないと思っていました。言ってしまったたこととの葛藤はありました。ずっと言ったことはやり通してきました。やらなきゃいけないなんじゃないかなという気持ちが強くて、ここまで(発表が)のびてしまいました」 有言実行の精神は2011年に48歳の若さで逝去された母・匡子さんの教えだった。 「小さい頃から変わりません。1日、1日 目標を達成するという強い気持ちを持ってやってきました。こういう性格なので、決めたことに関しては頑固なつもりです」 最終的には2月に決断をした。世界選手権で、日本の平昌五輪の出場枠が「3」から「2」に減ったが、その時点では、すでに引退を決意していて、引き金ではなかったという。 「五輪に出るという目標を止めてしまう自分を許せるのかなあ、許せないのかなあと、(悩んだが)、最後に話し合いをして決めたのは2月でした。世界選手権(の結果)が影響したわけではなく、自分自身が最後に決めたことです。気持ちの準備などであって今日に至りました。2枠は、残念なこと。やはりその2枠を大勢の子が争うわけですから、(選考試合は)ハイレベルな試合にはなると思っています」 今は、引退の決断に悔いはない。 「ソチ五輪のシーズンで選手を終えていたら、今もまだできたんじゃないかと思っていたと思います。でも望んで復帰して、挑戦してみて、気持ちも体も気力も、もう全部出し切りました。挑戦したことに何の悔いもありません。何もやり残したことがありません。もう一度チャレンジできてよかったです。やり尽くしました」 だから、もし生まれ変わっても「もう1度人生があるならスケートの道はいきません。食べることが大好きなので、ケーキやカフェとかレストランだったり、そういうのやっていくかなと思ったりします」と言う。