ミッキー・カーチス、脳出血で余命7か月宣告も「そうだったの」 映画に凝縮された86年の人生
母親から言われたひと言「役者をやらないか」
劇中では、延命と引き換えに一番大切な思い出を忘れることを条件に出されるが、カーチスの思い出は何か、と聞くと、「この映画『運命屋』だね」と即答した。 「だって86歳まで生きると思ってなかったから。友達はみんな死んじゃったし、みんなに会いたいよ。レーサーもやったし、落語家にもなって、真打ちにもなった。今は画家。どれもこれも、その時、一番やりたいことをやってきた。今は犬カフェもやりたい気持ちもあるけど、実際には無理だよ。誰かがやりたいなら、アイデアは出すけども」 好奇心旺盛で、常に新しいことに挑戦してきたカーチス。その原体験については「戦争が大きいかもしれない」と語る。 カーチスは1938年に日英ハーフの両親に長男として生まれ、第二次世界大戦中の1942年には家族とともに中華民国時代の上海に渡り、終戦とともに帰国した。 「引揚船で福岡につき、鉄道で東京まで来た。一番苦労したのは食べ物がないこと。そういうときでも親がどこから持ってきてくれたり、焼け跡からセーターを拾ってきたり。俺は、自転車を拾って、自分で直して、再生車として売ったりもしたよ。俺の作った自転車は一番速いと評判になったんだ」 少年時代からアイデアと器用さを発揮し、ロカビリー歌手として芸能界にデビュー。1950年代後半からは映画出演も多く、市川崑監督の『野火』(1959年)、岡本喜八監督の『独立愚連隊』(1959年)などが初期の代表作だ。 「映画好きは母親が映画雑誌の編集部員だったから。親から『役者やらないか』と言われて、『朝が早いからイヤだ』と言ったんだけど、最初1本目に出た。だから、母親が一番喜んでいたんじゃないかな」 カーチスの後半の人生を支えたのは、2008年1月に結婚した33歳年下の妻の存在だ。カーチスがオープンカフェでくつろいでいるところに、当時ピアノ講師だった妻の犬が近づいてきて、交際に発展した。 「やっぱり、感謝の思い大きい。ただ、うるさいんだよね」と笑う。数々の挑戦を経て辿り着いた今、カーチスが新たな物語を紡ぐ『運命屋』には86年の人生が凝縮されている。 □ミッキー・カーチス 1938年7月23日生まれ、東京都出身。1958年、『日劇ウエスタン・カーニバル』に出演し、平尾昌晃、山下敬二郎と共にロカビリー三人男として注目を浴びる。同年、映画『結婚のすべて』で俳優としてもデビューを果たす。95年公開の映画『KAMIKAZE TAXI』で、『第69回キネマ旬報助演男優賞』を受賞。落語家・ミッキー亭カーチスとしても活動するなど、幅広い分野で活躍。
平辻哲也