「苦しいときは登っているとき。慢心したときは…」上岡龍太郎が遺した珠玉の名言と意外な一面とは
昨年の5月19日に上岡龍太郎さんが亡くなって一年が経った。 共演者と大喧嘩を繰り広げ、納得がいかなければ番組の途中でもスタジオを退席してしまうなどの逸話から、強面な印象のある上岡さんだが、タレントの中山秀征さん(56)には別の一面が見えていたという。 【写真】56歳でもこの出で立ち!チェック柄のスーツを着こなす中山秀征さんを見る 後輩に説教じみたことは一切せず、ライブでは満面の笑みでツイストを踊る。そして何より、話術に長けていた。志村けんさんや萩本欽一さんなど数々の大物タレントを間近で見てきた中山さんだが、“話術の達人”として真っ先に思い浮かぶのは上岡さんだ。 そんな上岡さんが、「ヒデ、いいか」と中山さんに遺してくれた、人生の指針となる言葉があるという。 中山さんが、人生観を語りながら上岡さんとのエピソードなど芸能生活を振り返った著書『いばらない生き方 テレビタレントの仕事術』(新潮社)から、知られざる上岡さんの姿を紹介する。 (※以下、同書より引用・再構成しました)
“虎の威を借るタイプ”にはめっぽう厳しかった
広い芸能界で“話術に長けた人”は、それこそ星の数ほどいますが、“話芸の達人”といえば、僕の中では、真っ先にこの方の名が浮かびます。2000年に58歳で芸能界を退き、2023年にお亡くなりになった上岡龍太郎さんです。 初めて番組でご一緒したのは、上岡さんが東京に本格進出した、フジテレビ系『上岡龍太郎にはダマされないぞ!』(1990~1996年)。 上岡さんは、どんな話題でも、必ず“自分の物差し”で意見を言う、まさにモノ言う司会者。だからこそ、ステレオタイプな批判をする専門家や、怪しい自称霊能者など、“虎の威を借るタイプ”にはめっぽう厳しく大喧嘩も辞さない方でした。 そんな上岡さんの司会術で、僕が特に学んだのは「番組への入り方」でした。 上岡さんは、番組の“つかみ”のひと言目がとても強いんです。 「芸は一流、人気は二流、ギャラは三流、恵まれない天才、私が上岡龍太郎です」という、ラジオ番組での“口上”は有名ですし、「ダマされないぞ」でも、毎週、話題のトピックをインパクトの強いキャッチーな一言でまとめて、観ている人を最初から引き込む。僕も自分の番組で“上岡流”に挑戦しようと、何度もトライしているのですが、いや、これが難しい(笑)。学んだつもりでもマネのできない“一流の話芸”です。