サッチーは悪妻だったのか?人生の窮地に立った野村克也氏を救った言葉とは
ノムさんの“片腕”としてヤクルト、阪神、楽天でコーチを務めてきた松井優典氏は、この日、サッチーの写真を見て、こんなヤクルト監督就任裏話を教えてくれた。 南海時代に野村監督の元でプレー、ヤクルトにトレードに出され、当時は、もう引退してヤクルトのチームマネージャーをしていた松井氏に、サッチーが相談してきたという。 「沙知代さんに呼び出されてね(笑)。家を知らなかったので『どこですか?』と聞くと『田園調布の交番で野村の家はどこ?と聞けばわかるわよ』ってね(笑)。僕がヤクルトのマネージャーでチームのことに詳しかったので、色々と聞きたかったみたいだけど、もうその時は相談どころか決断されていたね」 ノムさんは、沙知代さんのことを「影の監督」と表したが、妻が敷いたレールの上を疑いなく歩き続けてきた。ヤクルトで、日本一監督となり、その後、阪神の監督に就任した。2年後にサッチーの脱税問題が絡んでノムさんはチームを去ることになったが、サッチーのプラス思考に揺るぎなく、その後も、夫の再登板のために水面下での工作を続けた。ノムさんは、社会人のシダックス監督を経て、楽天でユニホームを着て“世界のマー君”となった田中将大らを育てた。いつも転機にサッチーの「大丈夫よ」の後押しがあったという。 「言いたいことがあれば、歯に衣着せない性格ですから。誤解を招く性格ですが、奥さんとすれば頼りになります。動じない。どんな危険に際しても、マイナス思考は絶対にない。弱い心を100パーセント見せません。地球は自分を中心に回っている人生でした」 ヤクルト、阪神、楽天では、親子ではなく、時には、監督と選手の立場で、2人の姿を一番近くで見てきた克則氏も、こう言う。 「おふくろは、プラス思考で、父はマイナスで。バランスのとれたいい夫婦でした。とにかく強気で引っ張っていく感じでした。常に父をリードしていた。おふくろが舵取り。実際、その通りで、決められたところに父がついていく。豪快で偉大。最後の最後まで強気で、最後も母らしい。私にも、父と同じようなことを言ってました。『人生なるようにしかならないわよ』と。前向きなことしか言わない」 サッチーは数々の騒動やトラブルを引き起こし良妻賢母の対極にある「悪妻」や「恐妻」のレッテルを貼られてきた。しかし野村ファミリーにとってなくてはならない存在だった。究極のプラス思考を持つサッチーだからこそなりえた愛すべき妻であり信頼すべき母の姿だった。 「心の整理もなかなか大変です。生きているときになんでこういう思いができなかったのかな。人間の勝手さ、生きているときに感じなかったことを、今、いなくなって感じている。私のような人間によく尽くしてくれて感謝している。幸せな人生だったと思います」 ノムさんは、感謝という言葉を繰り返して、涙ぐんだ。 「これから先、どうして生きていけばいいのだろう、が、今の気持ちですけどね。いい奥さんでした……」 そう言ってノムさんは言葉につまり、涙をぬぐった。 憔悴しきったノムさんは、終始うつむき加減。ひとまわり体が小さくなっているようにも見えた。怖いもの知らずの“ぼやき評論”が売り物の名将が「もう私の時代は終わり」とまで言う。 だが、寄り添う息子の克則氏は「僕らがサポート、支えていかねばならない。ここからも色々意見を求められたりするでしょうし、もっともっと野球界に貢献して欲しいと思う」と勇気づける。 きっと天国から見守るサッチーはこう檄を飛ばしているに違いない。 「あんた何!その弱気は! 大丈夫よ!」 (文責・本郷陽一/論スポ、スポーツタイムズ通信社)