【2023年総括】ライター陣とTABチームが語る、ベスト展覧会は?【座談会】アート界ゆく年くる年(前編)
杉原環樹が選ぶ3+1展
杉原:僕はまず、「山下麻衣+小林直人―もし太陽に名前がなかったら―」展(1月25日~3月21日、千葉県立美術館)がシンプルにとてもよかった。 このユニットのことは、2021年に開催された黒部市美術館での個展「蜃気楼か。」で初めて知ったのですが、世界の手触りを、自分たちの、ときに労働的とも言える行為を通してもう一度確かめるような作品に惹かれました。たとえば、草むらの上を5日間走った軌跡でインフィニティマークを立ち上げたり(《infinity》、2006)、日本でドイツのミネラルウォーターを買って、ドイツの源流に返しに行ったり(《Release of mineral water》、2004)、砂浜で採取した砂鉄で1本のスプーンを作ったり(《A Spoon Made From The Land》、2009)、「人と自然」「人は自然」「人か自然」などの言葉が車輪に表示される自転車で過疎地を走ったり(《人( )自然》、2021)、新型コロナウイルスのゲノム情報をひたすら手書きしたり(《NC_045512》、2023)。人と自然や世界の関係を、自分の体や記号の働きを通して咀嚼し直すような活動をされているユニットなんですね。今展はそんなお2人の過去最大規模の個展だったそうで、作品を見る悦びが詰まった展示でした。 それから、もともとは考古学畑にいた奥脇嵩大さんという青森県立美術館の学芸員さんが、2021年から行っているプロジェクトの展示「美術館堆肥化計画2023」(9月23日~11月3日、青森県下北半島各所)もよかったです。奥脇さんは、美術館がいわゆる美術しか扱わないことや、物理的な限界がある建物に依存していること、物の変化を「劣化」ととらえること、そして地域のなかでそこに生きる人たちとの有機的な関係を持てていないことなどに疑問を持っていらして、そうした関心から、青森県美の横の敷地で稲作をし、農業と美術を掛け算するプロジェクト「アグロス・アートプロジェクト」などを手掛けてきた方です。 そんな奥脇さんがやられている「美術館堆肥化計画」は、土中の有機物が微生物によって分解されて土壌が豊かになる「堆肥」のように、美術館の機能を地域に放出することで、そこで営まれている暮らしや土地の過去を掘り起こし、耕そうとする活動で、今年は下北半島全域で展開されました。たとえば、地域のスーパーの売り場に誰も気づかないような小さな作品をぶら下げておくとか、昔鉄道が敷かれる計画があったけど戦争で頓挫した歴史を持つ温泉街に、そうした過去を想起させるような作品を展示するとか。地域住民にとっては当たり前の光景のなかに溶け込むように置かれたアートを通じて、土地に積み重ねられてきた時間や、人々の経験を「分解」し、再発見させるような仕組みなんです。 展示としてはささやかなものなのですが、その背後に奥脇さんの「美術館は、もっと地域を生きる人たちの生を下支えるするものであるべきではないか」という問いかけが感じられて、見据えている未来の射程の広さを感じました。 福島:奥脇さんのお仕事って、現代美術ガチガチのなかで活動してきた人とは違う着眼点から出発していて面白いですよね。 杉原:そうなんですよ。同じような、美術館と地域の関係を巡る実践としてもうひとつ展覧会を挙げさせていただくと、茅ヶ崎市美術館の25周年記念で開催された「渉るあいだに佇む―美術館があるということ」展(4月8日~6月11日)は、まさに美術館が地域に存在すること、それ自体を問うた展覧会でした。コロナ禍で美術館の存在意義を意識し直した経験から、それを展覧会というかたちにして再考してみるというプロジェクトで、すごくおもしろかった。 地元の人たちに、「美術館が地域にあるってどういうことだと思いますか?」と聞き書きした言葉を集めたインスタレーション(森若菜《こえを聴く―「聞き書き」からなぞる美術館》)があったり、やんツーさんと菅野創さんが地元の小学生、高校生と一緒に壁に描いたドローイングがあったり。それから、ラテックスで作られた大型の板が展示室に立てかけられていて、時刻や天候によって表情が変わる鵜飼美紀さんの《共有する範囲について》(2022)は、自然光を取り入れる造りが特徴である館の構造を改めて可視化するという作品で、美しかったです。 永田:茅ヶ崎出身の夫と見に行ったんですけど、普段あまり美術館に行かない人が、感動して泣きそうになっていました。出身でない私にも胸に迫ってくる作品が多かったですね。 杉原:そうそう、なんか泣きそうになるんですよね。 浦島:私も見ました。エモかった。現代美術だけじゃなくて、最初の展示室には萬鉄五郎とか井上有一とか、著名な作家たちの収蔵品が展示されていて、それぞれが茅ヶ崎とどう関係しているのかとあわせて紹介していましたね。 杉原:同展を担当した学芸員の藤川悠さんは、数年前に取材したことがあるんですが、とくに地方の美術館は「ゆかり」という言葉を非常に重視されると話していたのが印象的でした。つまり、その土地で生まれたか、亡くなったか、滞在したかのどれかを満たしていないと、なかなか展覧会をできないと。こうした条件は、一見不自由なものにも感じますが、「渉るあいだに佇む」展はそうした作家と土地の関係を有機的に捉え直すような展示にも感じられて、気持ちがよかったです。 永田:地方・地域の美術館は、地元にゆかりのある作家を調査・展示するという大きな役割があります。でも、古い時代の美術だけでは若い世代にアピールしづらいので、多くの館が現代アートに接続しようとがんばっている印象があります。 福島:地元にゆかりがある作家という点では、水戸芸術館 現代美術ギャラリーの「中﨑透 フィクション・トラベラー」展(2024年11月5日~1月29日)は、学生時代に水戸芸でアートと出会った中﨑さんがアーティストになって、故郷に錦を飾るという、その個人史的な文脈と水戸芸の歩みが見事にマッチした展示でした。私はとくに、建築家の磯崎新さんが昨年末に亡くなったのち、今年の1月に展覧会を訪れたこともあって、水戸芸術館の誕生秘話に触れるパートは胸に迫りました。水戸芸(概念)の肩を抱いて、「これまでやってきたことがこんなふうに結実して、本当によかったなぁ……」って、誰目線っていう感じですけど(笑)、祝福したい気持ちになりました。 杉原:僕からはもうひとつ、最近見た森美術館の「私たちのエコロジー:地球という惑星を生きるために」展(10月18日~2024年3月31日)も挙げさせてください。今度は東京の大都会にある高層ビルの最上階に場所を移すわけですが、エコロジーに関する問題や可能性を身近に感じられる良い展覧会だと素朴に思いました。環境問題という目線で見たとき、戦後の日本の美術がどのように見直せるかというゲストキュレーターのバート・ウィンザー=タマキさんによるパートが第2章として中盤に挟まっていたりして、展示の構成がおもしろかった。それから、同展も最後はビルのロールカーテンを修復するという作品、つまり自然光をビルのなかに取り入れることに着目して終わっていて、茅ヶ崎市美の展示ともリンクしました。 半田:エコロジーを冠する展覧会って、自然のものを作品素材に取り入れましたとか、動物や植物と共同制作しましたみたいなものがありがちだと感じていて。あるいは先住民文化や地域文化と協働して抽象画やヴィジュアルを作りました、みたいな。人間中心主義の批判を謳っていながら、結局は人間が動植物を利用している構図から逃れられていなかったり、都市社会の特権的な立場からのまなざしが見え隠れしたり。でもこの展示の第2章は、50~70年代、大気汚染や公害が凄まじかった時期の日本の状況と、それに応答する作品群が紹介されていて僕もすごく刺さりました。 なかでも中谷芙二子さんの《水俣病を告発する会―テント村ビデオ日記》(1972)は、チッソ本社前での抗議活動を撮影し、その映像をその場で活動参加者たちに見せるという構造も持つ作品なのですが、あの当時、銀座のソニービルで日本初のビデオアート展が開催されていて。チッソ本社前で撮影したテープをソニービルに持って行って展示するというラディカルなことをやっていたそうです。企業の問題を企業ビルの展示でやれる70年代、すごいなと。 あとは広島市現代美術館から殿敷侃さんの《山口―日本海―二位ノ浜、お好み焼き》(1987)という作品が来ていました。普段は美術館の屋外スペースに展示されている作品で、僕は広島出身なので見慣れている作品ではあったのですが、タイトルからなんでもない地域アートなのかなと思っていました(笑)。今回の展示で環境問題をクリティカルに扱った作品だったと知り、認識をポジティブに変えられました。 福島:私も第2章が面白かったです。いま「エコロジー」って一言で言っても、無垢の「自然」だけを対象とするのではなく、経済やテクノロジー、オンライン空間やAIまでを含む広い意味での環境を扱うことが多く、そうすると「エコロジー」展はもはやなんでも入れられる大きなどんぶりのようになってしまうところがあると思う。正直、この展覧会でもそう感じてしまう部分がありました。ただ2章は、戦後日本美術を意外性と説得力のあるかたちで扱っていたと思いますし、こういう展示を組み込めるのは森美術館の国際的なネットワークの強みなのかなと思います。 杉原:六本木ヒルズ周辺で自生する雑草にどういった薬効があるのかを調査し、押し花にして展示したジェフ・ゲイスさんの《薬草のグリッド六本木》も、シンプルに楽しかったですね。普段気にもとめなかった植物がじつはすごく体にいいことを知ると、見ている世界が違って見えてきたり、ただ立っている足元の地下に、じつは微生物がうごめいているんだと意識したり。改めてこの1年は、そういった気づきをくれる実践がすごく気になった年でした。 (このあと、「タラ夫が選ぶ3展」「永田晶子が選ぶ3展」「半田颯哉が選ぶ3展」「野路千晶が選ぶ3展」「福島夏子が選ぶ3展」とまだまだ続きますが、文字数の都合Tokyo Art Beatにてお楽しみください) *29日公開予定の後編では、2023年に感じた美術館の課題や気になるトピック、そして24年期待の展覧会を一挙紹介! *** ◆浦島茂世 うらしま・もよ 美術ライター。著書に『東京のちいさな美術館めぐり』『京都のちいさな美術館めぐり プレミアム』『企画展だけじゃもったいない 日本の美術館めぐり』(ともにG.B.)、『猫と藤田嗣治』(猫と藤田嗣治)など。 ◆杉原環樹 すぎはら・たまき ライター。1984年東京都生まれ。武蔵野美術大学大学院造形理論・美術史コース修了。出版社勤務を経て、美術系雑誌や書籍で構成・インタビュー・執筆を行なう。主な媒体に美術手帖、CINRA.NET、アーツカウンシル東京関連。artscapeで連載「もしもし、キュレーター?」の聞き手を担当中。関わった書籍に、平田オリザ+津田大介『ニッポンの芸術のゆくえ なぜ、アートは分断を生むのか?』(青幻社)、卯城竜太(Chim↑Pom)+松田修『公の時代』(朝日出版社)、森司監修『これからの文化を「10年単位」で語るために ー 東京アートポイント計画 2009-2018 ー』(アーツカウンシル東京)など。 ◆半田颯哉 はんだ・そうや アーティスト・インディペンデントキュレーター。1994年、静岡県生まれ、広島県出身。科学技術と社会的倫理の間に生じる摩擦や、アジア人/日本人としてのアイデンティティ、ジェンダーの問題を巡るプロジェクトなどを展開している。また、1980年代日本のビデオアートを研究対象とする研究者としての顔も持つ。東京芸術大学大学院美術研究科先端芸術表現専攻修士課程および東京大学大学院学際情報学府修士課程修了。 ◆タラ夫 「バベルの塔展」(2017)という展覧会の元マスコット。本展終了後、アートを愛する元広報担当(中の人)とともにSNSなどで展覧会を紹介している。 ◆永田晶子 ながた・あきこ 美術ライター/ジャーナリスト。1988年毎日新聞入社、大阪社会部、生活報道部副部長などを経て、東京学芸部で美術、建築担当の編集委員を務める。2020年退職し、フリーランスに。雑誌、デジタル媒体、新聞などに寄稿。2022年より「Tokyo Art Beat」Contributing Editor。 ◆野路千晶 のじ・ちあき「Tokyo Art Beat」Editor in Chief。 ◆福島夏子 ふくしま・なつこ「Tokyo Art Beat」Executive Editor。音楽誌や『美術手帖』編集部を経て、2021年10月より現職。
福島夏子(編集部)