少子化を生きる ふくしまの未来 第1部「双葉郡のいま」(1) 孤立感 衰えた「地域の力」 子ども持つ選択に不安
2011(平成23)年3月11日に起きた東日本大震災、それに続く東京電力福島第1原発事故は福島県勢に深い爪痕を残した。県推計人口は大きく落ち込み、原発が立地する双葉郡は特に深刻だ。長期の避難で子どもが激減した。一般の自然減、社会減でくくれない「被災減」とも言うべき状況に至った地域で、何が起きているのか。「課題先進地」の今を出発点に子どもが消えた地域の未来と打開の糸口を探る。 双葉郡はかつて福島第1、第2両原発や関連産業を基軸とする安定した就労環境などを背景に、高い出生数を有し、住民間のつながりも強かった。 福島第1原発が立地する大熊町出身で、事故前年の2010年に地元で長女(14)を産んだ会社員の吉崎沙紀さん(36)=いわき市=は「親族や友人、知人が多く、地域全体で面倒を見てくれる。子どもができることへの心配はほとんどなかった。良い意味で『世間が狭かった』」と人間関係が濃密だった古里を懐かしむ。しかし、そんな環境は原発事故と続く避難によって一気に様変わりした。現在、この地域で子どもを産み育てる親の間では「孤立感を感じている」という声が少なくない。
「親同士のつながりを強めないと、若い世代が『子どもを持つ』という選択をしづらくなってしまうのではないか」。富岡町の任意団体「cotohana(コトハナ)」共同代表の鈴木みなみさん(34)は震災と原発事故により、子どもが大きく減った双葉郡の将来を憂う。 山形県出身。立命館大で学んでいた2013年、いわき市で復興支援に携わるようになった。卒業後は双葉郡未来会議の事務局に勤務し、当時の夫との間に長女みちるさん(8)をもうけた。2019年、たびたび訪れて気に入っていた富岡町に娘と2人で移り住んだ。 仕事と育児の両立は楽ではなかったが、幸いにも仕事や復興支援活動で培った人脈に支えられた。 鈴木さんは郡内で同じ境遇にある母子と交流する中、「遊びの場や医療機関、イベントなど子ども向けの情報を得る手段が少ない」と気付いた。親子同士がつながり、暮らしやすい地域にしようと、コトハナを設立した。 コトハナは2023(令和5)年11月から昨年2月にかけ、15歳未満の子どもがいる郡内の保護者72人に意識調査をした。その結果、2020年以降に双葉郡に帰還・移住した人のうち、約3割が「孤独を感じる」と回答した。郡内の出身者や、それ以前に移住した人より多い結果を示した。
昨年11月下旬。鈴木さんらコトハナは大熊町の交流施設「linkる(りんくる)大熊」であるワークショップを開いた。郡内で暮らす保護者や自治体の職員らが班に分かれ、思いを語り合った。 子どものいる家族は少ないため、悩みを分かち合い、支え合える相手も自然と限られる。住民帰還も思うように進んでおらず、親子を支える「地域の力」が衰えたまま、13年余りを経ても回復していないのが実情だ。 鈴木さんは参加者のやりとりを聞き、「まずは、保護者に『1人ではない』と感じてもらうことが大事。そういう地域になれば、子どもを持つことを肯定的に捉えてくれる人が増えると思う」と言葉に力を込めた。