悪魔が生出演→大惨事に……“テレビ史上最恐”の放送事故 監督のケアンズ兄弟が“裏側を語り尽くす【「悪魔と夜ふかし」インタビュー】
海外メディアから「愉快なトークショー版エクソシスト」(DIGITAL TRENDS)と称されたホラー「悪魔と夜ふかし」が、10月4日に公開される。 【動画】「悪魔と夜ふかし」予告編 ハロウィンの夜に起こった“史上最恐”の放送事故――テレビ番組の生放送中に起きた怪異を“ファウンド・フッテージ”スタイルで描いた物語となっており、ホラー界の巨匠スティーブン・キングが「実に見事! 目が離せなかった!!」と絶賛するほどだ。 映画.comでは、メガホンをとった兄弟監督のコリン・ケアンズとキャメロン・ケアンズにオンラインインタビューを敢行。「ザ・スーサイド・スクワッド “極”悪党、集結」でも知られるデビッド・ダストマルチャンとのタッグや製作秘話などを語ってもらった。 【「悪魔と夜ふかし」あらすじ】 1977年10月31日、視聴率調査週間にあたるこの日、放送局UBCの深夜トークバラエティ番組「ナイト・オウルズ」では、司会者ジャック(デビッド・ダストマルチャン)が、生放送のオカルトライブショーで、人気低迷を挽回しようとしていた。霊聴、ポルターガイスト、悪魔祓い……怪しげな超常現象が次々とスタジオで披露されるなか、目玉企画としてルポルタージュ「悪魔との対話」著者のジューン博士と、本のモデルとなった、悪魔が憑くという少女リリーが登場。視聴率獲得に必死になるジャックは、“悪魔”を生出演させようと目論む。 ●なぜファウンド・フッテージを採用?「本物の番組のように撮影をしたくなった」 ――本作は「封印されたマスターテープに映っていた衝撃映像」といったファウンド・フッテージを採用されていますが、このスタイルを選択した理由を改めて教えて頂きつつ、これが効果的に機能したと自負している部分も教えてください。 コリン:僕たちは、最初に主人公のストーリーを決めて、次に舞台をテレビ番組の生放送のスタジオにすることを決めたんだけど、そうすると当たり前のように、本物の番組のように撮影をしたくなったんです。ある意味で自由に作っていて、いわゆる「型」や「あるある」を気にせず、好きにつくることができました。なので、この映画を例えばファウンド・フッテージ(found footage)、モキュメンタリー(mocumentary)、ショックメンタリー(shockumentary)、lost media等どんな風に呼んでもらっても構わないんです。 キャメロン:僕らにとって一番大事なことは、良質な物語を語ることで、トークショーというフォーマットが正しい方法だと感じただけです。だから、ファウンド・フッテージにするんだとか、新しいファウンド・フッテージスタイルを目指したということはないんですよ。 ●怪演のダストマルチャンについて「ナーバスなエネルギーをずっと表現し続けてくれた」 ――ジャックというキャラクターをどう創造していきましたか?ダストマルチャンからのアイデアなどはあったのでしょうか? コリン:実は、ジャックのボディランゲージは、デビッド自身が生み出してくれたものなんです。もちろん脚本にも色々と書いてはあったけど、アドリブでけっこうやってもらっていて、特に映画のラストのやり取りはアドリブが多くて、セリフ自体にもいくつかアドリブが入っています。アドリブができるということは、それだけ役者がそのシーンにフィットしていたからできたことなんですね。 映画のクランクイン後、最初の数日は楽しい撮影(モノローグ、1回目のOA、今までのインタビューなど「ナイト・オウルズ」の紹介映像部分)をしました。それを楽しみながら撮っているうちに、早い段階では、デビッドは自分のキャラクターをみつけてくれて、はまってくれたんです。デビッドは、その後生放送部分の収録に入るわけですが、ジャックが抱えるナーバスなエネルギーをずっと表現し続けてくれました。緊張感やナーバスな表現というのは脚本に書けるものではなくて、でもジャックは、ハロウィンの夜の放送にかける思いがとても大きいわけですから、その緊張感、ナーバスなエネルギーを持ち続けてくれていたのは素晴らしいと感じました。 映画をよく見ると、デビッドはボタンをはめたり外したり、というのを何度もやっています。緊張感をみせる為にそういった細かいディテールをつくってれていたんですね。 キャメロン:あとアクセント。彼はシカゴのことをよく分かっているんです。そういうシカゴ的な地域色をアクセントに反映させてくれていて僕たちも、シカゴのアクセントを聞くと分かるようになったしそういった信憑性があるアクセントを見つけてくれたくれたのも、デビッド自身だったことにも感謝しています。 ●テレビ局での“経験”をいかす「緊張感あふれる環境を映画で体験してほしい」 ――TV業界というのも、本作の重要なファクターです。お二人はTVスタジオで働いたそうですね。ここで「登場人物や業界のストレスへの理解を深めた」とのことですが、本作に生かされたことはありますか? コリン:実は僕は、シンガポールに90年代に5~6年住んでいて、この時にテレビ局で仕事をしていました。バラエティ系の番組も手掛けていたので、音楽であったり、コメディだったり、それからシットコムみたいな、そういうコメディドラマみたいなものも手掛けていたんですけれど、やっぱりある種のすごく独特な環境でもあって、特に生放送でやる時は、アドレナリンがみんなドバーッと出ていて、キュー出しのタイミングとか、間違いをしちゃいけないとか、本当にギリギリの緊張感の中でやっている。 さらに、それだけではなくて、キャストとかゲスト自体も、すごくナーバスになってたりするので、そういったことにも気を使わなければいけなかったという経験があります。そういう緊張感あふれる環境を映画で体験してほしいとふうにも思っていて、とはいえ作品としては、「ネットワーク」とかそういう作品もこれまでにあったので、それが全く新しいというわけではないのだけれども、自分たちなりに何か新しい形でそれを提供したいというふうに考えていました。 キャメロン:観ている方には、まさに収録しているその番組の観客になったような、そんな風にこの映画を観て欲しいと考えました。まわりに観客が沢山いるような中で実際に自分が番組を観覧してるかのような――その時代も70年代に戻り、そんな中でジャックが最悪な状況に陥っていく……そういう没入的な体験を観ている皆さんにしてほしいなと。没入してこの映画を観てもらいたいと思っていました。 そのための要素としてとても大事だったのが、サウンドデザインなんです。すごく有機的につくられていて、自然に入ってくるから、あんまり目立ってはいないので気づかないかもしれませんが、エマ(Emma Bortignon)という、最近「TALK TO ME トーク・トゥ・ミー」も手掛けられた方が作ってくれているんですが、これもまたその没入する体験を大いに助けてくれています。 ――“悪魔憑き”を描く映画ですので、その媒介となる人物の芝居も重要です。本作ではイングリッド・トレリが体現していますが、芝居についてはどのようなセッションを行いましたか? コリン:イングリットは、オーディションで選びました。メルボルン在住だったということもありますし、何よりも存在感が際立っていました。身のこなし方や佇まい、この役を獲得したいという熱意、それとカメラを見つめる目力にも特別なものを感じまして、2回目のオーディションでは満場一致で「イングリッドが僕らのリリーだね」と決定しました。 キャメロン:あとイングリッドは、エージェントから聞いた話ですが、前々から歪んだ役やサイコパスを演じたいと言っていたらしく、リリー役は、ついに獲得した夢だったんです。元から頭の良い女優で、キャラクターの重層構造をよく理解していて、ダークな場所にも行かなければいけないこともコミットしてくれた上でフレッシュに演じてくれて。その上、色々なパターンで演じてくれるから編集段階でも助かりました。リスクに怯まない、若いけどワクワクする役者でした。 ●“カルト教団”はオリジナル?それとも着想の源があった? ――本作では「カルト教団」も恐怖の下支えになっている要素になっています。着想の源(=参考にした“実在のもの”)はあるのでしょうか?完全オリジナルの場合は、どのようにイメージを固めていきましたか? コリン:カルト教団について、最初のイメージとしては、大きな建物がいっぱいあるようなマンションであったり、ジョーンズタウンのようなものをイメージしていたのですが、制作費的に難しかったので、スケールをもう少し小さくしました。だけど、親密になった分だけ、より効果的だったかなというふうに思っています。 やっぱり、歴史的にすごい大事件、カルト事件というのは、当然その脚本を書いてるときには頭にありました。例えば、マンソンとか、アントン・ラヴェイ、チャーチ・オブ・サタン(サタン協会)など。ディアーボのキャラクターを、すごく薄味にしたのがアントン・ラヴェイという感じかな。だから、それをちょっと参考にしているところがあります。それ以外に秘密結社のボヘミアンクラブも。クラブのことを知った時、夏にサンフランシスコの北のほうの森でキャンプしているようなのですが、そこで何やってるかわからないという……そこに興味をもち、イマジネーションを膨らませたという部分がありました。それを極端なバージョンとして描き、カルトと合わせてみたという感じです。なので、そこもレファレンスになっていますね。 キャメロン:あと、日本では出版されていないと思いますが、「Michelle Remembers」(by Lawrence Pazder and Michelle Smith)というカルトに関する本が流行ったのですが、これが全くの嘘だったという……リリーとジューン博士の話はここからインスパイアされています。ミシェル・スミスがリリーのキャラクターの参考になっています。ミシェル・スミスを題材にしたドキュメンタリー映画「Satan Wants You.」で本が売れたのをきっかけに、TV出演とかしていたそうです。のちに全部ウソだったことがバレたみたいですが。 ※補足:回想録「Michelle Remembers」には、悪魔崇拝者の手による虐待とされるスミスの幼少期の記憶が詳述されている。スミスの長年の精神科医であり、やがて夫となったパズダーは、ミシェルが幼い頃に母親と一緒に悪魔教会の儀式に参加させられ、その中にはサタン自身が登場するものもあったという疑惑や、スミスが生け贄にされた新生児やその他の死体に無理やり触らされるなど、とんでもない方法で拷問や暴行を受けたという疑惑を「思い出す」ように操った。この本の成功により、パズダーとスミスはセンセーションを巻き起こし、いわゆる悪魔儀式虐待の「権威」となった。 テレビのトーク番組への出演で大衆を魅了、司会者はこの本の正当性を疑うことはなかった。ジェラルド・リベラ・ショーのようなトーク番組は、レイト・ナイトの「ナイト・オウルズ」と同様、1988年にハロウィーン・タイムに関連するオカルト・トピックの特集を組んだが、視聴率のためにこのような話をセンセーショナルに取り上げ、「悪魔崇拝カルトの虐待」に関する誤った物語を頻繁に補強。「Michelle Remembers」に記された“事実”は後に否定されている。 ●今後の展望&日本の観客にメッセージ!「たくさんの人と映画館で観るのが一番な作品」 ――今後映画作品として取り上げたいテーマはありますか? コリン:次回もホラー映画になるんじゃないかな。それが僕らの感性だったりテイストだったりするから。ケアンズ兄弟といえば「ファン(Fau)、ゴア(Gore)があって、サスペンス(Suspense)があって、ハート(Heart)がある映画だ」と言われて、僕らもそういった映画を作りたいと思っているんだけど、ジャンルにこだわっているわけではないんだ。ホラーを3本つくってきたから、ホラー監督だと思われているかもしれないけど。 キャメロン:ホラーだけじゃなくて、ハイスト(heist/強盗)もの、コメディ、ミュージカルなど、ワクワクするような題材にも機会があったらチャレンジしてみたいとは思っている。でもホラーも大好きだから、ホラー映画の監督だと思われても全然構わないんだ。 ――これから作品を鑑賞する日本の観客にメッセージをお願いします。たとえば「これを知っていれば、もっと映画が面白くなる!」という小ネタもあれば、併せて教えてください。 コリン:僕らの経験では、この映画はたくさんの人と映画館で観るのが一番な作品です。だから是非友達と家族を連れて観に行ってください。できれば観客でいっぱいの映画館で。というのもより大勢の人がいる方が、自分があの夜、あのTVスタジオに実際にいるような気になるからです。まるで70年代に戻ったような気持になります。どの映画も観ている者を違う時代や場所に連れて行ってくれるものですが、この作品もそういう経験ができるだけでなく、自分がジャックの番組の観客であるような、特別な、没入的な体験ができます。あの奇妙で、恐ろしいジャックの一夜に参加しているような。 キャメロン:サウンドもチェックして欲しいですね。あの世界からするととても有機的なサウンドトラックなので、注意をしていないと気付かないかもしれませんが、サウンド・デザイナーのエマ(Emma Bortignon)はレジェンドで、今作ではみなさまがトークショーの観客の1人のような気持ちにさせてくれます。