目の前で仲間を撃たれ、兵士になった人気モデル 日本での「夢」とは
人生を一変させた、ある光景
「国軍は、武器さえ持っていない仲間を目の前で、残酷にも撃ち殺しました」 この瞬間、「何かしなければ」という気持ちがふくらみ、おさえきれなくなったという。 「私は自分の仕事が好きだった。夢に向かって頑張っている途中だった」 だが、仲間が、国全体が軍に好き放題にされていることに気づいた。息子を殺され、遺体にすがりながら泣き崩れる父親の姿をSNSで目にした。ハニーさんも涙を流さずにはいられなかった。 「仲間と一緒に自由のために戦いたい」 両親は「お前を危険な目に合わせたくない」と反対したという。だが、ハニーさんは折れなかった。「今まで自分のため、自分の家族のために生きてきた。これからは仲間のため、自由のために何かしたい」 私は、ミャンマーで特派員をしていた時からそうだが、記事などで「民主化」とか「自由」という言葉を使うとき、何となく「恥ずかしさ」を感じてしまう。裏返せば、自分がこれまでの人生でそういうことを肌で感じてこなかったからだと思う。「平和ボケ」していたのかもしれない。 実は、クーデター後も、ヤンゴンなどはショッピングセンターも開き、「普通」の生活が営まれているようにも見える。ハニーさんも、ヤンゴンで家族と暮らす道を選ぶことはできた。だが、命の危険をおかしてまで「戦う」道を選んだ。 本来は特派員の時のように現地に行って、民主化部隊の生活や訓練を取材し、ハニーさんと対面でインタビューをしたかった。だが、現在はジャーナリストビザの取得も簡単には認められず、入国を果たしても、国軍に尾行されることが予想される。ハニーさんたちがいる場所まで軍に伝えてしまっては、何のための報道かわからない。泣く泣く、リモートでの取材にした。
「日本に行ってみたい」その言葉に続いたのは……
訓練や部隊の作戦会議後、疲れているのに「ぜひ話したい」とハニーさんはZoomでのインタビューに応じてくれた。部隊の基地は、竹で組んだ簡素な小屋。雨季で蒸し暑く、汗が噴き出す中、言葉を選びながら答えてくれた。 ――ヤンゴンで暮らすこともできた。後悔はしていない? 「後悔はしていません。何もやらずにはいられないと思いました」 ――どんなふうに軍に対抗している? 「武器も着るものも必要なものしかない。皆、節約しながらぎりぎりの生活をしています」 「(国軍の攻撃で)仲間も失っています。そんな時は、なぜ支えられなかったのか、自分を責めています」 これまでの自分の人生、思いや今の生活を、時々考え込みながら話してくれた。 「日本の人に、何かメッセージがありますか」と尋ねると、ハニーさんは一瞬笑みを浮かべた。 「実は、東京ディズニーランドに行きたいんです」 「日本に行けるなら、お花見をしてみたい、着物を着て写真も撮ってみたいです。私は日本のアニメや漫画を読んでいて、日本の文化に触れたいんです」 そして、少し声を落としていった。 「もし私が生きて、日本に行くチャンスがあるなら……」 理解はしているつもりだったが、彼女が本当に「死」と隣り合わせだと、頭を殴られたような衝撃を感じた。 「自分たちが望む新しい国で安心して、平和で、楽しく暮らしたい。もし命を落とさずにいられれば、それを希望に進みます」